731部隊だった平澤正欣軍医によるペスト感染実験の博士論文。「さる」が死亡するまでの体温変化を記録したグラフ。人体実験だったとの指摘がある(国会図書館関西館所蔵) 戦時中に中国東北部で細菌兵器を研究した「731部隊」(関東軍防疫給水部)は、京都帝国大医学部出身の石井四郎軍医中将が中心となり、捕虜をペスト菌などに感染させて症状の進行を調べたり、生体解剖したりしたとされる。石井は戦後、京大から助手・講師クラスの研究者たちを派遣してもらったと謝意を語っている。 旧満州のハルビン近郊にあった731部隊は終戦時で約3900人、博士号を持つ医官は53人いた。1945年時点で軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人という部隊構成だった。 京大医学部講師から731部隊に派遣され凍傷研究を行い、戦後は京都府立医科大学長になった吉村寿人によると、「京大の助教授・講師級の若い者が8名(病理学3、
第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通…
2011年の公文書管理法施行を受け、厚労省は戦没者等援護関係資料を国立公文書館に順次移管している。軍人軍属死没者原簿、開拓団在籍名簿、引揚者在外事実調査票など延べ2千万人の記録で、今回発見された731部隊について1950年作成の公文書も、こうした移管文書の中に含まれていた。公文書のずさんな管理が「桜を見る会」問題で問われている今、歴史を検証可能にする仕組みが求められている。 発見された厚生省作成「関東軍防疫給水部」資料は、謎に包まれている特異な731部隊の戦後処理について、新たな光を当てるものだ。 731部隊は研究所を旧満州のハルビン近郊に置き、ペスト菌や炭疽(たんそ)菌、感染症などの生物兵器研究で人体実験をしたとされるが、部隊長で京都帝大医学部出身の石井四郎軍医中将や研究の中核を担った軍医、医学者らは戦犯訴追されなかった。占領期に米国は細菌戦研究のデータを米国側に渡せば戦犯訴追を免責し資
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