R.I.P.に関するhayakuzakaのブックマーク (2)
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現代日本を代表する小説家で、日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した、大江健三郎さんが、今月3日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。 大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品﹁奇妙な仕事﹂で注目を集めたあと、1958年には﹁飼育﹂で芥川賞を受賞しました。 そのあとも数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日本文学界をリードしました。 そして1994年、川端康成に続いて、日本人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。 核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた﹁ヒロシマ・ノート﹂は、ベストセラーになりました。 また、憲法改正に反対する﹁九条の会﹂や、脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。 講談社によ
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元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木︵アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ︶さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病﹁全身性アミロイドーシス﹂で闘病中だった。 ︻写真︼今年8月、24時間テレビに生出演したアントニオ猪木さん2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていた。前日持ち直したが、この日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取った。 1943年︵昭和18年︶生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム﹁アントニオ猪木﹂を名乗る。 米国への武者修行
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