呆けてしまった親を見捨ててはいけないのだろうか。冷たいようだけれども各々好きにすればいい、と僕は思う。面倒をみるのも見捨てるのも正しい。僕の母はさいわい元気で、呆けるのは貸した金を返すように僕が文句をいうときだけである。僕自身は家族に面倒をみてもらいたいとは思わない。つか面倒をみてくれる家族がいなかった。奥様からは「キミがボケても面倒はみないから」と言われている。ハードコア・ライフだ。そんなことを考えているのは、実家の裏に住んでいる高齢女性が原因のちょっとした騒動に巻き込まれて警察沙汰になりかけたからだ。母からは裏のオバサンが呆けてヤバいという話を聞かされていた。「約束をすっかり忘れる。約束したことすら覚えていない」「一緒に出かけて帰ってきた直後にまだ出かけないの?と訊いてくる」「娘の旦那宛の電話をウチにかけてくる」等々。オバサンは母よりも少し年上なので八十代前半。僕の一学年上の娘が一人い
わたしの弟・岸田良太には、生まれつき知的障害がある。ダウン症だ。(詳しくは「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」に書いた) 言葉がうまく伝わらない、発音もわかりづらい、みんなと同じことができない、いつもぼーっとしている。 でも、だめなところばかりじゃない。 玄関に靴を脱ぎ散らかし、母からいつも「あんたはムカデか」とお叱りを受けるわたしに比べ、よっぽど弟の方がきれい好きで、しっかりしてる。 難しい言葉はわからんが「ありがとう」「こんにちは」だけはハッキリ言えるので、すれ違う近所の人たちに挨拶と愛想を振りまきまくる弟は、愛されている。 先日もこのわたしを差し置き、内緒でからあげクンをオマケしてもらっていた。 わたしと弟で同じふるまいをしても、わたしは「アホ」で片づけられ、弟は「お調子者」と呼ばれる。後者がちょっと得をしている気がする。 かれこれ24年間、弟はずっとそんな感じで、楽しそ
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