内田樹さんが、マスメディアの凋落というエントリで、新聞はインターネットに負けたのではなく自爆したのだ、という話を書いている。 新聞の凋落は、その知的な劣化がもたらしたものである。 きびしい言い方だけれど、そう言わざるを得ない。 新聞記事の書き手たちは構造的にある「思考定型」をなぞることを強いられている。 それは世の中の出来事は「属人的な要素」で決まるという思考定型である。 要するにこの世には「グッドガイ」と「バッドガイ」がいて、その相克の中ですべての出来事は展開しているので、誰がグッドガイで誰がバッドガイであるかを見きわめ、グッドガイを支援しバッドガイを叩く、ということを報道の使命だと考えているということである。 シンプルでチープな話型だが、現実にそういう話型に基づいて世の中の人の多くはふるまっているので、その話型で説明がつくことは少なくない。 「虚構が現実を圧倒する」ときには虚構に基づい
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