千円札裁判︵せんえんさつさいばん︶とは、当時、前衛芸術家の赤瀬川原平が、1963年に印刷所で﹁千円札を印刷﹂して芸術作品を作ったことにともない、行われた裁判。裁判は1965年︵昭和40年︶から1967年︵昭和42年︶にかけて行われた。 内容[編集] 赤瀬川が作った作品[編集] 赤瀬川は、﹁オブジェとしての紙幣﹂に興味をいだき、﹁千円札の印刷﹂を考え、﹁千円札をオモテだけ、一色で印刷してください﹂と2ヶ所の印刷所に依頼した。だが、それぞれ印刷会社も﹁製版して印刷は無理﹂と断られたため、まず﹁製版﹂を依頼。できあがった原銅版をもとに別の印刷会社に﹁印刷﹂を依頼した。赤瀬川は、1963年1月にその印刷物をさらに加工して作品として発表する。 また、1963年2月の個展﹁あいまいな海について﹂の案内状が﹁印刷千円札の裏に、個展の案内が刷られたもの﹂であり、赤瀬川はそれを、関係者に現金書留で送った。