昭和の時代を生きた多くの男の子にとって間違いなくヒーローだったアントニオ猪木さん。私もアフリカやアメリカで育ちながら、漫画やVTRに録画してもらった試合を通じてファンになっていました。アメリカ人の友達とプロレス談義をする時は、アメリカのレスラーでさえ怖くて闘わないモハメド・アリと猪木さんが引き分けたことを話して自慢していました。 私が議院運営委員会の理事だった時、猪木さんが本会議場に入ろうとした際にシンボルの赤いマフラーを外さないと入場させないという問題が発生しました。私は理事会の中でただ一人、﹁松島法務大臣(当時)や他の女性議員がストールやショールをして入場しているのに、猪木さんが入場拒否されるのはおかしい﹂と、猪木さんのマフラー着用での入場許可を求めて反論しました。