うちの塾の生徒の一人に、とても可愛くて、しっかり者で、明るくて、誰よりもキッチリと宿題をこなして、誰よりも理解力があり、たいへんに学習に対して積極的で真面目な、6年生の女生徒がいる。塾で学習を開始したのが他の生徒に比べ遅かったので、同じクラスの生徒に比べ現時点で必ずしも成績が目立つわけではないが、あの知識吸収力と努力から、うちのクラスでは最終的にはトップになるだろうことは担当一同が認めるところである。 彼女には妹がいて、妹の送迎も彼女が行なっている。 父母は受験に不熱心というか無関心で、彼女自身に任せ切りにしている。まあ、そのこと自体はいい。 続きを読む 「プチエンジェル事件」(渋谷赤坂女児監禁事件)の女児が「死んだ」というデマがけっこうしつこく2chに流れていて、いったい誰がそのデマを流しているんだろう、と思ったが、デマの元は「サイバッチ」だったようだ。 http://www.mailu
よくよく自分の心に照らし合わせて考えてみると、私自身の不安は、たとえば宮台真司氏が唱えるような「過剰流動性による不安」にあるのではない。むしろ、流動性と言われているのに流動的ではないところに不安がある*1。つまり「硬直性」の不安だ*2。 これに対し、「歩行と記憶*3」ではもっと「過剰流動性」を進めるべきと述べていて、それはおそらく正しい。しかし、kuriyamakouji氏は「過剰流動性」のために、「自営」か「自営と変わらない働き」をしたほうがいいという。これは物事の半面しか見ていないのではないか*4。 「過剰流動性」よりも「硬直性」に不安を抱く私にとって、自営をしても不安は解消されない。自営に失敗して、別の道に進もうとしても「硬直性」のある社会では、その変化が難しい。過剰に流動的であるのなら、おそらく自営から会社員、さらに自営へと次々に移動できるはずだが、おそらく事はそう簡単にいかないの
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