社会学のみならず、広く社会科学ないし人文学の世界において、ここ数年来、﹁承認﹂概念をめぐってはさまざまな議論がなされてきました。現代社会を語る上で、一種のキーワードとなっている観もあります︵斎藤環﹃承認をめぐる病﹄日本評論社、2013年参照︶。たとえば、2008年に起きた秋葉原での無差別殺傷事件。家族と離れ、派遣労働者として職場を転々とする犯人が求めていたのは、他者からの﹁承認﹂であったと、しばしば語られてきました。そして、とりわけ彼の場合は、ネット上でのつながり――たとえ罵倒や冷笑であっても、何らかのレスポンス――を求めていたのだとも論じられました。 現代社会を生きる人々は、さらに言えば現在の若者たちは、それほど強く﹁承認﹂を求めているのでしょうか。 この問いに対して、私の中に解答はありません。ただ思うことは、いつの時代にも若者たち︵まだ何者でもない者たち︶は、周囲や社会からの承認を求め