駅と中国に関するkatamachiのブックマーク (6)
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愛新覚羅氏をご存知だろうか? かつて中国大陸を支配していた﹁清﹂という王朝の皇帝の一族である。 もともと、現在の北朝鮮の国境とほど近い地域︵現在の撫順市と通化市の間あたり︶を拠点とした満洲族︵女真族︶の首長・ヌルハチがご先祖だ。ヌルハチは1616年に即位し、次代のホンタイジが国号を﹁大清﹂に改め、3代目の順治帝の時代に中国本土に進出。やがて康煕帝・雍正帝・乾隆帝の3賢帝の時代に極盛期を迎えた。現在の中華人民共和国の領域も、外モンゴルと台湾を除けばほぼ清朝の範囲を継承している。 清朝は1840年のアヘン戦争を境に衰退し、1911年の辛亥革命で滅びた。ただ、最後の皇帝・溥儀はやがて日本の関東軍に利用されて傀儡国家の満洲国の皇帝として即位、戦後は収容所を経て、最後は一般市民として北京市内で没する。このあたりの話は、映画﹃ラストエンペラー﹄や、溥儀の弟の溥傑に嫁いだ日本人・浩の自伝﹃流転の王妃﹄な
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俯瞰する楽しみ 刻む歴史 つなぐテツ愛 日本語で書かれた﹁中国鉄道時刻表﹂を発行するのは、中国鉄道時刻研究会。中心となるのは、団体職員の何玏(か・ろく)さん(27)と会社員のtwinrailさん=ハンドルネーム=(26)。ふたりは東京大学工学部時代に知り合う。それぞれ大学院でも、交通にかかわる社会基盤の整備を専攻した。どちらかといえば﹁乗り鉄﹂の何さんと﹁撮り鉄﹂のtwinrailさん。﹁雄大で魅力あふれる中国の鉄道を多くの人に楽しんでほしい﹂。2013年に研究会を結成し、仲間を募って時刻表の刊行を始めた。14年夏号を皮切りに、これまで4刊を編んで販売している。 中国鉄道時刻研究会を主宰する何玏(か・ろく)さん(左)とtwinrailさん(右)。東京大学工学部時代からの友人。2013年に研究会を立ち上げた=2019年4月7日、東京都豊島区西池袋、吉岡桂子撮影 最新刊の2018ー19冬号は全
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︻4月30日 東方新報︼中国のラッシュアワーのエスカレーターで、右側に人が立ち、左側は急ぐ人のために空けるという光景を目にすることが増えた。いつから﹁片側空け﹂がマナーとして見られるようになったのか。 広東省︵Guangdong︶広州地下鉄グループは、今後は片側空けを提唱しないと発表した。片側を空けることによって、エスカレーターの片側だけに負荷がかかり、エスカレーターの寿命を縮めているという。また、安全面からもエスカレーターを歩くべきではないとし、﹁急いでいるなら階段を使ってほしい﹂という。 北京地下鉄でも片側空けを提唱していた時期があったが、現在は﹁きちんと立ち、手すりにつかまる﹂ことを推奨している。しかし、多くの市民は無意識に片側を空ける習慣がついてしまっている。専門家は、﹁地下鉄事業者が宣伝と教育を強化するべきだ﹂と見ている。 ■95%で摩耗状態に偏り 広州地下鉄グループは、今回の発
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南満州鉄道のOBらでつくる﹁満鉄会﹂の最後の大会には約130人が集まった=19日、東京都千代田区︵大竹直樹撮影︶ 戦前・戦中に満州︵現中国東北部︶で鉄道や炭鉱、製鉄など幅広い事業を展開し、教育や医療など行政分野も担った南満州鉄道︵満鉄︶のOBらでつくる﹁満鉄会﹂︵松岡満寿男会長︶が19日、東京都内で最後の大会を開いた。会員の高齢化により存続が難しくなり、満鉄会は来年3月末、66年の歴史に幕を閉じる。 満鉄会は敗戦に伴い解散した満鉄の元社員の就職斡旋︵あっせん︶や未帰還者の早期帰国などを目的に昭和21年に誕生した。最盛期に約1万5千人いた会員も現在は約1千人と激減。来年4月以降は情報発信に特化した﹁満鉄会情報センター﹂として3年間限定で存続させる。 満鉄は大連に本社を置き明治39年、設立された半官半民の国策会社。満州で一大コンツェルンを築き、従業員数は約40万人︵日本人は約14万人︶を誇った
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﹁99年9月9日﹂の日付が入った永康から保安までの切符=台湾鉄道管理局提供 ︻台北=村上太輝夫︼台湾は1912年の中華民国建国を元年とする暦を使っており、今年は﹁民国99年﹂で、9月9日には9が四つ重なる。﹁九︵チウ︶﹂は﹁久︵チウ︶﹂に通じて縁起が良いとされ、この日付の鉄道記念切符が人気を呼んでいる。 台湾鉄道管理局は、台南県内にある永康駅で、保安駅行きの記念切符を5万枚用意した。1枚21台湾ドル︵約56円︶。駅名の4文字を組み合わせると﹁永保安康﹂︵ずっと心配事なくやすらかに過ごせる︶という意味になる。﹁99・9・9﹂の日付を入れて6日に売り出したところ、朝から長蛇の列ができ、6時間で売り切れ。同局は急きょ5万枚の追加印刷を決めた。 切符は、日本ではほとんど姿を消した、硬い厚紙に印刷したもので、永康駅では日本統治時代から使っている機械に1枚ずつ通して日付を入れている。ただこの機械
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