京都府八幡市橋本地区で、遊郭にまつわる石碑の扱いを巡って市民の間で意見が分かれている。遊郭の存在を﹁負の歴史﹂ととらえて石碑の撤去を求める住民がいる一方、﹁貴重な歴史資料﹂と保存を求める声もあるためだ。一帯の再整備を計画する市は地元自治会の意向を受けて撤去する方針で、生乾きの歴史とどう向き合うのか、市民に波紋を広げている。 石碑は﹁養神︵ようしん︶﹂と大書され、高さは約170センチ。1922︵大正11︶年に建てられた﹁旧歌舞練場兼芸娼妓︵げいしょうぎ︶慰安余興場﹂の敷地内にあった。歌舞練場は戦後、アパートなどに転用されてきたが、隣接する京阪橋本駅前の整備を八幡市が計画したことに伴って今夏に取り壊された。現在は養神碑だけが残されている。 市は整備にあたって、予定地一帯にある石碑などの扱いについて地元自治会に希望を聞いた。その結果、明治元年の行政区画整備で消えた﹁橋本﹂の地名が28︵昭和3︶年