答え 約2000人月 開発の流れ 要件定義 顧客の発注を受ける 1次請け、要件定義書の執筆を始める 1次請け、顧客と交渉し、家の中に繋がっている家電製品を全て調べ上げる 一次請け、基本設計実施要領の執筆を始める 基本設計 この工程は、2次請け以下には秘密裏に行われている 詳細設計 1次請け、詳細設計実施要領の執筆を始める 1次請け、だいたいこのあたりで2次請けへと乾坤一擲 2次請け、使用する規格やフレームワークなどの部品を選定開始 詳細設計書の執筆がスタート、電球の大きさや重さ、丸み、光度、味、匂いなどを定義する このあたりで、既に5次請けくらいまで仕事が割り振られている 製造 1次請け、製造工程実施要領の執筆を始める 1次請け、単体テスト実施要領の執筆を始まる 5次請け、電球フィラメントのくるくるを手で作成しはじめる 4次請け、求める匂いが上手く出せないと3次請けに駄々をこねる 3次請け
気楽にTwitterを続けるための4つのポイント。 - かみんぐあうとっにインスパイアされて。 一言で言うと、「自分の手で掬おうと思ったものだけ掬えばいい」と僕は思ってます。 上記エントリで言わんとしていることは、「過度に自分以外の他人のことを気にするのではなくて、自分の基準に沿っているかどうかを気にしたほうがラクだし、長続きするよ」ということだと思う。 「気にしない」という言葉の良くないところは、主語が見えないことかな。「何を」気にしないのかというのが、自分の中で明確にならないと付き合い方も見えてこないので、だんだん距離感がつかめなくなって疲れてしまうと思う。 僕が気にしないようにしているのは、「自分が期待していた他者の反応」と「実際の他者の反応」のズレです。 一時期は「ここをわかってほしかった」「いや、それじゃないんだ」と色んな反応に「オレのこと何にも知らないくせによく言うよ」と思った
何故、自分がツイッターはやりつづけらるのか? 何故、Lingrや昔からあるチャットではダメなのか? ネットにおいてもリアルにおいても多くのコミュニケーションでは、自分の存在を維持するために、その場所やコミュニティにコミットしなくてはいけないという粘着性が求められる。 つまり、そのコミュニティにハマっている人は、時間のコミットが求められる。 チャットに入ればコンニチハ、ある時間を共有して、去るときはサヨウナラ。 そしてその連続性が人間関係になる。 個人的に、このように輪に参加している状態が続く=ステートフルなコミュニケーションが、とりわけネットではあまり得意ではない。 そもそも忙しいし、そういうところに時間を使うのがあまり好みではない。 それに対してツイッターは、参加という概念がない。突然、つぶやきを書くことができるし、突然いなくなることもできる。 @を使ったコミュニケーションは、非同期であ
「ネット世論」ということばがある。「世論」というのは「世間一般の意見や考え」というぐらいの意味だろうから、それに「ネット」がくっつくと、「ネットの中で一般的な意見や考え」くらいになるだろうか。わざわざ「ネット」とつけるということは、「ネット世論」は「世論」とはちがうという含みがあるのかな。いまや全国民の7割だかがネットユーザーであるわけで、ネット世論が全体の世論とちがうというのもなんだか妙な気がするわけだが、ユーザー層は必ずしも国民一般の縮図とはなっていないのも事実だし、実感にもそこそこ合っているような気がするにはする。 それはいいとしても、「ネット世論」も「世論」の一種なわけで。となると、アレだなアレ。 世論を語るときに、サイレントマジョリティという考え方が持ち出されることがある。Wikipediaによると、1969年にニクソン大統領が「発言はしないが現体制を支持している多数派」という意
こんにちはこんにちは!! ブログしてますか!!! やっぱりブログしてるからには、 いつかはアルファブロガーだとか、カリスマブロガーだとか呼ばれてみたいものですね…! さて今日は、人気のブログについて、 ちょこっとだけ思ったことを書いてみますね…! はい! ダンコガイっていう有名なブロガーがいるんですが! ご存知でしょうか…! もちろんみんな知ってるよね! はてなブックマークの人気エントリー一覧とかでもしょっちゅう見かける あのヒゲのおじさんです!!! で、以前、誰かが、そんなダンのブログをみて、 こういうことを言っていたんだけど… 「あの記事は、ダンコガイが書いているから人気なんだよな〜」 …、と。 え、なんだろうこの違和感…! あ、これって前にぼくがこう言われた時と同じ感覚かも…? 「はまちやって得だよなー、 だってなに書いても、はてなブックマークがいっぱいついて人気記事になるじゃん」
ということで、だらだらと思っていることを書いてみます。 ぼくがマスコミや芸能関係のいわゆる業界人的なひとたちとつきあいはじめたときに発見したことです。 ”業界”のひとって、会話の半分以上が、自分はだれそれと仲がいい、とかこのまえ一緒にめしをくったとか、飲みにいって朝まで大変だったとか、こんど会うとか、なんですね。一般社会ではそういうのは嫌われることが多いのでめったに会わないですが、”業界”だとそういうひとばっかりです。むしろそうじゃない人のほうが珍しい。どういう力学がはたらいたら、こういうひとたちの存在があたりまえな社会になるのだろうって、最初のうち不思議だったのですが、そのうち気づきました。 それは”業界”のひとって、個人の看板で商売しているからです。ふつうのビジネス社会では偉い人も、結局のところは会社の看板で商売しています。”業界”ではたとえサラリーマンであっても仕事は人とのつながりが
自意識過剰な人が陥りがちなことに、「日本社会は出る杭を叩く。俺がやろうとしていることを出資者やクライアントや会社や上層部や先輩や同僚は理解してくれない」と周囲に責任を押し付けることがある。 いや、それはお前が出る杭ではなく、出す提案に説得力がないからだって。 突飛なアイデアであっても、トライすることに価値がありそうなら資金は不況でも集まるし、最低でもプレゼンする機会は与えられると思うよ。そういうチャンスが回ってこなくて、周囲の無理解を批判するのは、環境に恵まれていないからじゃなくて、聞いてもらうための環境設定に問題があるからなんだ。 で、出た提案に説得力がなかったとしても、何度か出資者候補やクライアントと調整することによって、ブラッシュアップされたり、コンセプトがきちんと定まったり、コストの見直しで最終収益がもう少し確保されそうだったり、より良い計画になることだってある。そうなってから、再
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