中国に関するkhwarizmiのブックマーク (2)
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情報と自由に関するちょっとゾッとするささやかな理論自由主義が勝利の凱歌をあげている時代に,ぼくは育った.自由民主主義が勝利して,20世紀をわがものにした――帝国主義もファシズムも共産主義もみんな崩壊して,20世紀末には,アメリカとアジア・欧州の民主主義同盟国が経済面でも軍事面でも上り調子だった.中国ですら,依然として独裁国家ではありつつも,この時期に経済と社会の一部を自由化した.フランシス・フクヤマの﹃歴史の終わり﹄に鼻白んだ学者たちも,総じて,資本主義および/あるいは自由民主制が平和・幸福・繁栄を育んだという主張に好意的だった.﹁勝利したのは他でもなく自由だ﹂という感覚が,圧倒的に強かった――思っていることを語る自由,好きなように生きる自由,のぞむままに売り買いする自由こそが勝利したんだという感覚が大勢を占めていた. それからほんの20年後のいま,﹁自由こそが勝者﹂という考えは,深い疑い
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第20回党大会が閉会し、中央委員が発表された。 今まであったとされる内規の定年について考えてみたい。 ﹁七上八下﹂、つまり67歳なら中央委員に留任、68歳なら引退という内規だ。中央委員に再選されないということは、そこから選出されると規定がある政治局委員や政治局常務委員にもなれないので、政界引退を意味する。 内規なのでどこかに明記されているわけではない。2002年の第16回党大会で当時68歳の李瑞環︵全国政協主席︶が、2007年の第17回党大会で同じく68歳の曾慶紅︵国家副主席︶が次期も留任する可能性を示唆されながら引退したことで、想像上のラインではなく本当にあるのだろうと考えられてきた。 第19期は69歳の王岐山が留任するかで意見が分かれたが、中央委員から外れる一方で、67歳の李源潮も中央委員に再選されず、引退となった。この事例から、第19期の時点で67歳以下でも引退する可能性があると確認
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