子供ふたりの結婚式を終え、諸々のことも終えて、やっとゆっくりできる時間ができたので少しネットに放流しようと思う。 上の子と下の子は10歳近く差のある兄妹で、周りの子供1人とか歳の近い兄弟家族に比べると子育ての時間は長かった。人によってどこまでが子育てになるかも違うと思うけど、私は子が社会人になって2年目ぐらいにやっと手を離れたな、と感じた。ふたりとも大学から一人暮らしをしていたけど、やはり働いて初年度はこちらもどうかなーと心配になるので、2年目で大丈夫だな、と思えた、まあ私の問題である。手を離れた、というか私が離しても大丈夫、と思えた、というべきか。 上の子が高校を卒業して実家を出た時に、ああもうこの子と一緒に毎日過ごすことはないんだ、とふと実感し泣いた夜があった。 自分の親もこういう気持ちだったんだろうか、と思って無性に両親に会いたくなった日があった。 私は20代前半で上の子を産んだし兄
夫の身体能力は高く 小さい頃からいろんな記録を持っているそうです 学校で1番から県で1番まで その地域で未だに抜かれていない記録もあります でも全国レベルではありません 身体能力が関係ある仕事にはついていないし 特にスポーツもやっていないしジムも嫌いです 今年50歳 身体能力を発揮する場はありません だけど唯一夫が身体能力を披露する時があります 植込みなど障害のないガードレールを見ると 手を使わず両足を揃えて飛びこえる事を造作なくできるので 良いガードレールを見るとひょいひょい飛び越えていました 若い時は、かっこいい!と横で喜び そのうち、ウザいこけろ!と思うようになって 今では歯磨きぐらいなんとも思いません で先週 路肩に留めた車に2人で戻る時、私はガードレールの隙間を探し 夫は良いガードレールを見つけ、いつものように飛び越えたつもりが とうとう足が引っかかってしまいました 初めて見まし
父親はモラハラで母に興味が無く気まぐれに私を殴り 母親はアル中で不倫中毒で家事一切しない 共働きで父母どちらも炊事洗濯掃除全くしない そんな家庭で育った 乳幼児の頃から本当に叔父に助けられて育った 叔父は母の年離れた弟で叔父が大学生の時に私が生まれた 私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい) それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた 高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった 小学校入学とともに父母に引き取られた 地獄だった 叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした 母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんが食べられて嬉しかった 10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことが
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