﹁そうだったのか!﹂﹁今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!﹂という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は﹁勘違いしていた自分からの脱却﹂﹁正しい知識を得たことによるレベルアップ﹂という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 ﹁間髪をいれず﹂が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、﹁本来言葉は変化するものであって、﹁正しくはこう!﹂などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって﹁正しい日本語﹂などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう﹂という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛