人生と研究に関するkkoiroのブックマーク (3)
-
見た目でされた差別が忘れられない10年以上前のことが未だに忘れられない。 社会人2年目、理系の研究職。 職場に女性は少なく男性ばかりで、真面目・静かな人が多かったと思う。 私はいわゆる喪女だったけど、会社には見た目や性別で差別する人が少なくて、居心地の良い平穏な場所だった。 仕事の実績で評価される社会人っていいな、と思った。 しかし次の年に小動物系の見た目で、ふんわりした子が新卒で入ってきた。 初日に皆でランチしましょう、となった時 先輩の男性がその子と話す時に、凄く緊張しているのが分かった。 可愛い子と話せてテンパってるって感じだ。 言葉は噛んでるし、気を使おうとしてから回ってる。 私とか、男性とかの初対面はそんな事なかったじゃん。 なんだか凄くショックを受けてしまった。 結局、見た目で差別︵態度をかえる︶されるのかーって。 悪意のある差別なら、まだ良かったよ。 相手が幼稚なんだと自分
-
TL;DR これは、このブログの本題とは何の関係もない僕自身の回顧録にして懺悔録であり、見ようによっては怪文書です*1。故に、記事中には何の参考になる内容も書かれていないことを予めお断りしておきます。それでも良いという方だけ、この先をお読みください。ただしTL;DRと書いた通りで、超長文につきご注意を。 当時から7年が経ち、この中に登場する人物の中には既にリタイアしている人もいれば、物故している人もいます。ある意味もう時効だろうということで、その時起きたことをつぶさに書いてみることにした次第です。 研究者を辞めた時のこと 研究者の道を目指した理由 正直言って無能だったが、勉強だけは熱心なポスドクだった ポスドク待遇改善運動、研究体制改革運動を経て、業界では知らぬ者のないお尋ね者になった そしてポスドクをクビになり、国内に行き先がなくなった 土壇場でシンガポールでのjob talkに招かれた
-
こんにちは。とても上品です。冬本番も近づいてきましたね。洗濯物を干したり食器を洗ったりなどの家事も辛くなってきました。皆様も体調にはお気をつけください。 という性に合わない前置きは置いといて、今日は趣向を変えてゴリゴリに自分語りをしようと思います。特に私に興味の無い方はウィンドウを閉じてしまいましょう。 今日の記事は本当に思いつくままにつらつらと筆を進めるつもりなので、とりとめのない話になってしまうかもしれません。予めご了承ください。 自己紹介 まずは自己紹介から。福岡出身で都内の大学に通う一人暮らしの男子大学生です。福岡出身なので博多弁ユーザーなのですがもう上京6年目ともなると博多弁もほぼ消えつつありますね。 一浪して大学に入り教養課程を経て2年次後半から専攻に分かれ、私は電気電子情報分野へと進みました。 プログラミング経験も無いのにたくさんプログラミングをするであろう学科になぜ入ったの
-
1