⇒ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 都道府県別シェアから見た広告メディアとしての新聞 私は、仕事柄もあり、新聞を含めた広告メディアを観測していますが、新聞の崩壊がもしあるとすると、それがネットに入れ替わるという意味合いではなく、折り込み広告を含めた、現状においてもネットよりも広告効率のいい巨大メディアがパンクしてしまうという意味合いだと思います。 そう思う。 (あと出版広告かな。) ただ、ちょっと自分はITメディア側に比重を置いている。 そこをちょっと言うと、その内、パソコンがなくなり、ユビキタスなツールに置き換わったとき、紙のユビキタスな性質との競合が起きる、ああ、ちょっと抽象的だけど、なので、比喩でいうと、iPhoneみたいなツールが普通の情報ツールになる(でもiPhoneはこけるよ)。そこは以前はPDFみたいな感じだったけど、PDFは紙に負けたというかそもそも紙に負けるような
今さっき、反G8国際フォーラムというのに参加してきまして、マイケル・ハートとかもいたのですが、僕がものすごい眠い状態で行ったからかもしれませんが、全然面白くなかった。実効性のあることを言っているとも思えなかった。左翼がネグリ思想的なものを「サプリメント」とか「強壮剤」として使用しているのではないかという疑念はまた強まりました。まぁ、それでもいいのではないか、対処的には、という意見でもあるのですが。 そんなわけで、http://blog.goo.ne.jp/f-ryota/e/80fb1d03a1c0fdcb83b3b0da0532e728のエントリに応答します。福嶋さんは「ゆるい宗教」を求める心性の背景にあるのは<帝国>的なものであり、それが「社会の厚み」や「人生の意味」を根こそぎにしたから、それの代償として人々が「スピリチュアル」的なものを求めている、という認識だと思います。僕の考えもそ
藤田直哉氏がブログで、前回のエントリ「ゆるい宗教国家」を引いてくれてます。ただ、藤田氏と僕とでは「宗教」についてだいぶ考え方が違うので、これは確認しておいたほうがいいと思いました。結論から言えば、彼が言うのが「物語としての宗教」であるのに対して、僕が言うのは「神話=メタ物語としての宗教」であり、後者の力学を踏まえておかないと、前者の議論そのものがいちばん素朴な宗教に陥りかねないということです。なお、以下の記述は前回のエントリの延長なので、説明が多少不親切なところもあるかもしれませんが悪しからず。 僕が前回書いたのは、スピリチュアルのように宗教なのか宗教でないのかもはや判然としないものが(たとえば、島薗進氏はスピリチュアルを「新霊性文化」と呼んでいます。つまり、島薗氏にとっては宗教というより文化なわけです)、これからの先進各国ではますます強くなるだろうということです。それが「ゆるい」という
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
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