日曜日に行われた文学フリマに行ってきました。twitterで知り合った人で出店/参加するが多かったというのもあり、またゼロアカにちょっとウォッチ的な興味があったということが主な理由です。 ゼロアカの目的自体にはほとんど興味はないんだけど、この企画の副産物として得られるかもしれない批評の広がりみたいなのには期待していて、そういう側面を自らの目で確かめておきたいというところもありました。 突撃インタビュー! ゼロアカと言えば動画やustreamなんだけれども、門下生はおろか筑波批評社のメンバーも両手がふさがっている状態。これは一肌脱ごうと勝手にustreamを開始し、リアルタイムでインタビューなんかをしたりしていました。事前に宣伝したわけではないので、あまり集客できなかったというのがちょいと残念。 そんなこんなで、twitterなどで見知っていた参加者にインタビューをしながらも、隙をうかがって
筑波批評社という文芸サークルの同人誌『筑波批評』の最新号で巻頭インタビュー「批判的工学主義とは何か」が掲載されました。 『筑波批評2008秋』について 「批判的工学主義」とか「超線形設計プロセス論」などで述べて来た「データベースの書き換え」「場所性と作家像の再定義」「メディアのあり方」などの一連の主張について哲学を専攻するシノハラ氏と社会学を専攻する伊藤氏と共に議論しています。個人的にも、今考えていることが包括的にまとまった内容になりました。 インタビューしてきた!(9/10のインタビューについて) インタビュー先をちょこっとだけ公開するよ。(藤村龍至についての紹介) 彼らの同人誌は11/9の文学フリマにて発売される予定だそうです。筑波批評社は東浩紀さん主催のイベント「ゼロアカ道場」に参加しているようで、何だか盛り上がっている模様。 「批判的工学主義」などという、印象としては一見閉じてい
MIYADAI.com Blog (Archive) > 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない « 書籍発売日の変更 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » ──────────────────────────────────── 『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない 〜ヘブライズム(神義論)とヘレニズム(逆神義論)の反復する対立と西洋的なもの ──────────────────────────────────── ■クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト(闇の騎士)』(08)のエンドロールに、映画でジョーカー役を演じた後にオーバードーズで急逝したヒース・レジャーと、同じく急逝した特殊効果技師のコンウェイ・ウィックリフに捧げられていることが記されている。 ■巷での評判通り、この映画で最も強い印象
相変わらず朦朧とした頭で、昨日ようやく『うみねこのなく頃に』のep.3をプレイ。やはり竜騎士さんの着想は凄い。よくこんなこと考えるなぁという感じ。 この作品のコンセプトは明快で、ep.1から記されていたように「推理は可能か不可能か」というものです。具体的には、ある殺人事件を人間が犯した事件として、つまりはミステリとして読み解くか、それとも非現実的な魔法が跋扈するファンタジーとして読み解くか、そのふたつの解釈が対立しているわけです。通常のミステリが真実に到達することを目指し、通常のアンチミステリが推理(真実への到達)の不可能性を描くのに対して、『うみねこ』はそもそもミステリが可能となる「条件」を描こうとしている。 これは、ある局面をファンタジー化するパッチを当てて処理するか、それともミステリ化するパッチを当てて処理するかという違いに相当すると考えられます。『うみねこ』の錯綜した舞台をふつ
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