cultureとTVに関するklovのブックマーク (2)
-
この投稿は13年 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。 僕は昨年末にエコポイント亡者と化してテレビを買い替えたが、滅多に見ない。手持ち無沙汰を持て余した昼食前などにつけるぐらいだ。先日の昼もちょうどそんな感じで、そのときはたまたまワイドショーをやっていた。ホンジャマカの泉が司会を務めており、ちょうど駅弁特集が始まるところだった。リポーターの彦摩呂は東京駅の駅弁フェアか何かで地方の名物駅弁を平らげ、いつものようにコメントをした。﹁宝石箱や〜﹂に始まる知名度の高いネタから順序よく、几帳面に。そして、持ちネタをほぼ披露し終えた頃と、東京駅ではどうしても手に入らない駅弁を求めて青森まで行くことになった。新幹線で三時間をかけて青森駅に辿り着くと、その駅弁はなぜかたった一つだけ残っており、ギリギリのところでありつくことができた。最後のネタであ
-
ドラマについてここのところ考えていたことをつれづれに。 ちょっと飛躍するけれども、ドラマっていうのは時代の記憶の共有なんだよなーということに思い至ったのですよ。無料で︵ほぼ︶平等に同時刻に配信される、その時代の、記憶の素材。 あーたとえば。ニコニコ動画で、ゲーム動画とか盛り上がるじゃん。あれって、子供部屋の気分の共有だよね。FFとかドラクエとかを放課後やった気分を、今分かち合える。皆べつべつの子供部屋にいたのにね。ニコニコ動画って、そういう嬉しさが魅力のツールですよね。今現在の面白映像を共有できるだけじゃなくて、過去を共有出来ることにも、魅力の比重がある。 ニコニコ動画︵まぁネット︶も、ゲームもドラマも映画も、記憶の共有ソフトという意味ではおなじだよね。情報を分かち合う為の道具。記憶の共有自体が、物語の機能なんだから。 そういえば、記憶について、佐藤浩市が2005年の日本アカデミー賞でこの
-
1