市場と*経済学に関するko_chanのブックマーク (2)
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﹃企業・市場・法﹄の巻頭論文﹁企業・市場、そして法﹂はこの本全体の見取り図とコースの取り組みの意図を書いたもの。コースは従来のロビンズ的な経済学の定義︵希少性の学問としての経済学︶とそれと結びついたゲイリー・ベッカー的な﹁選択の科学﹂としての経済学が﹁狭量﹂であると批判した。 ベッカー、いままでのロビンズ・ベッカー流の経済学だと、﹁人間性のない消費者、組織をもたない企業、市場すらもたない交換﹂であるとその限界を指摘。コースの目的は、この無視された制度︵企業と 市場︶が﹁なぜ存在するのか﹂と問い、その問いの中で企業と市場の中で法が果たす役割を分析する。まず、﹁企業はなぜ存在するのか﹂。コースは﹁市場を利用する費用﹂︵=取引費用︶に注目する。これは市場で取引相手を探したり、契約を結んだり、駆け引きを行ったり、契約が護られているか否かを知るための費用だ。この取引費用を低下したい誘因が存在する。そ
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スティグリッツの﹃公共経済学﹄からの引用。 ﹁外部性が存在するときにつねに、関係者が一致団結し、外部性が内部化され効率性が保証されるように一連の取り決めを行うことができるという主張はコースの定理とよばれている。 たとえば、同じ部屋に愛煙家と嫌煙家がいるとき、もし嫌煙家の損失が愛煙家の利得より大きいならば、嫌煙家は団結して、愛煙家にタバコを吸わないように﹁わいろを贈る﹂︵経済学で好んで用いられる言い方では﹁補償する﹂︶かもしれない。もし電車の禁煙車両に愛煙家がおり、禁煙︵それは、嫌煙家によって愛煙家に課された外部性とみなされるが︶が、嫌煙家が得る以上の厚生を愛煙家から奪っているならば、愛煙家は一緒になって、嫌煙家にタバコを吸うのを認めてくれるように﹁補償を行う﹂であろう﹂︵邦訳275頁︶。 最も詳細で入門レベルのコースの定理の説明は、私見では、柴田弘文&柴田愛子﹃公共経済学﹄である。その説明
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