柴崎浩(from WANDS)INTERVIEW_music freak magazine Vol.5(1995年4月号)バックナンバー CD SHOPを中心に配布していた音楽雑誌「ミュージックフリークマガジン」のバックナンバーを紹介するブログコーナーです。 今回は、皆さんからのリクエストが多かったvol.5(1995年4月号)の表紙を飾ってくださった、WANDSギタリスト・柴崎浩さんの巻頭ロングインタビューを大公開!! 「世界が終わるまでは…」「もっと強く抱きしめたなら」「時の扉」など90年代に数々のヒット曲を放ち、時代を代表するバンドとして君臨したWANDSが、オリジナルメンバーの柴崎浩さん(Gt./第1期・第2期)、木村真也さん(Key./第2期・第3期)、3代目ヴォーカリストとして迎え入れられた上原大史さんにより、2019年よりWANDS 第5期として19年ぶりに復活。 現在は、4
「住所の揺らぎ程度のことにAIを使いたいだとかデジタル音痴」だの「住所の正規化なんてExcelで2時間あれば作れそう」だの、たいへんフットワークの軽やかな言説の数々に、位置情報界隈のみならず住所の正規化や名寄せに少しでも関わったことのあるエンジニアが総立ちでマサカリを投げていたのも記憶に新しい今日この頃ですが(2023年6月6日)、この手の騒動は周期的に起こってる印象です。 ということはつまり いつまで経っても解消されない、解決が困難な課題である その困難さが界隈以外に共有されていない であるわけで、その都度Twitterにトリビアが投下されてはTLが賑わい華やかではありますが、そろそろ自分の整理としてもどれだけ日本の住所システムがカオスで、その計算機的な処理がいかに困難かをメモっておこうかと思いました。 なおこの件については既にQiitaにGeoloniaの宮内さんが鼻血の出そうな良エン
【イベントレポート】吉井和哉、ソロデビュー20周年記念<吉井和哉展「二◎」>開催。約1年8ヶ月ぶりに本人も登場 吉井和哉の20年の歩みを楽しめる吉井和哉展<「二◎」(ニジュウマル)>が、9月30日、10月1日に東京・東京ガーデンシアターで開催された。ここでは、イベントのオフィシャルレポートをお届けする。 ◆イベント画像 会場には、吉井和哉が20年の間に発表してきたアルバム、シングル、映像作品といったリリースアイテム、それらのプロモーションとして発売ごとに制作してきた販売促進ポスターやアーティスト写真、吉井和哉が表紙を飾ったいくつもの雑誌、レコーディングやツアーで使用したギターといったさまざまな楽器をはじめとするイクイップメント、衣装などを展示し、ソロキャリアを多角的に紹介したもので、レコーディングを行うプライベートスタジオ、ライブの際の楽屋を再現したコーナーも設けられた。 音楽活動とは直接
葛藤と苦悩を音楽に昇華、自分自身の表現を今も追求する 吉井和哉からソロデビュー20周年を記念したベストアルバム「20」が届けられた。ベストアルバム第1弾「18」(2013年リリース)に続くベストアルバム第2弾となる本作の収録曲は、2014年以降にリリースされたシングル、そして、これまでのアルバムのリード曲を中心にセレクトされている。通常盤の収録曲は以下の通り。 みらいのうた(配信シングル / 2021年) ○か×(配信シングル / 2021年) (Everybody is) Like a Starlight(アルバム「STARLIGHT」 / 2015年) 超絶☆ダイナミック!(シングル / 2015年) WEEKENDER(アルバム「39108」 / 2006年) シュレッダー(アルバム「Hummingbird in Forest of Space」 / 2007年) ヘヴンリー (アル
The musician to the musician vol.10_栗林誠一郎(SEIICHIROH KURIBAYASHI) 「栗林誠一郎」という名前をご存知だろうか。シンガーソングライター、ベーシストとして、ソロ、またバンドで作品を発表する傍ら、TUBE、ZARD、WANDS、DEEN、ほか数多くのアーティストに楽曲提供を行っている名コンポーザーでもある。特にZARDに多数のヒット曲や名曲を提供、90年代の音楽シーンに大きな足跡を残した。 最近は、ZARDのトリビュートバンド・SARD UNDERGROUNDがリリースした3枚のZARD トリビュートアルバムやシングルのカップリングでも、栗林が作曲を手がけた「君がいない」「もう少し あと少し・・・」「Don’t you see!」「運命のルーレット廻して」など多くの曲がラインナップされており、改めて彼の非凡なるメロディセンスに触れる
押し寄せる通勤客をどうするか、一方で通勤需要を伸ばすにはどうするか――東京圏の鉄道は、この相矛盾する課題に対し、さまざまな戦略を取ってきた。 「戦略」とは、「戦」の字が入っている通り、もともと軍事関連で使われていた言葉である。現代では企業活動をはじめ、さまざまな分野で「戦略」という言葉が使われるものの、それだけ激しい競争社会になっているともいえる。 もちろん、鉄道も同様である。その中で東京圏の鉄道は、常在戦場(じょうざいせんじょう)ともいっていい状況にあった。私鉄と国鉄、私鉄同士の争い、一方で多数の通勤客。過酷な環境にどう立ち向かうかが、鉄道に課せられた使命だった。 江戸から東京へと変わっていく時代、東京の都市規模は現在よりも小さかった。1878年には東京の中心部を15の「区」に分け、その中には新宿や品川は含まれていなかった。89年にはそれらが合わさって「市」となる。 72年、新橋から横浜
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