![底辺絵師が廃業しても創作市場そのものは縮まないと思うんですが…](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
「進歩とは指数関数的なものだ」とはよく言うが、この指数関数は2つのパターンがある。 先へ進むほど段々と効能が下がっていくもの、たとえば何かの練習をしたとき最初は1時間2時間でグイグイ成長していたのがやがて100時間鍛えてもプラトーが終わらなくなるようなタイプの指数関数。 反対に最初はあまり進まなかったものが途中からドンドン倍々ゲームにインフレしていく、バイバインのような加速度的な増加を起こす指数関数。 そして多くの進歩はこの二つの進化関数が重なりあっている。 つまり、ある部分においてはだんだんと効能が落ち、ある部分においては突然急加速が起きる。 今のAI絵師は一見すると加速的な指数関数が先に起きてから、減速気味な指数関数へと移行したようにも見える。 だが、私はそうは思わない。 今いる場所は単なる一時的なプラトーでしかなく、そのプラトーに滞在する間もAI進歩の倍々ゲームは物凄い勢いで進んでい
タイトルは反語。以下では、まずくない、という話をする。 1 直面原理について私たちは、絵画や音楽や映画や服や風景などについて、美的判断を下している。つまりは、「Xは美しい」「Yは醜い」といったことを考えたり言ったりしている。美的な観点からアイテムを評価しているのだ。あったかい服でもダサければ選ばないし、美しい風景なら苦労してでも見に行くという風に、美的判断は生活における選択を左右している。 美的判断というのは美学という学問のコアを成す主題(と言ってもよいだろう)だが、これをめぐっては強く支持されている原理がある。 直面原理[Acquaintance Principle] 直接の経験に基づくことなく、美的判断を下すことはできない。 その目で見てないならある絵画が優美かどうかは分からないし、その耳で聞いてないならある曲がかっこいいかどうかは分からない。読んだこともないのに『ユリシーズ』は壮大だ
主催者が狂ってる (多そう) 主催者の個人的復讐 金持ちの道楽 (意外と少ない) 政府の陰謀 異界の実験 閉じ込められた仲間が裏切って何かしようとしている 後なんかある? 今際の国はなんだかんだ、ゲームの正体も含めて面白かったな。
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