客観的に見れば明らかに限度を超えた行為が集団によって行われてしまうケース。これはいわゆる﹁集合知﹂がなぜかはたらかないケースと言えると思いますが、そういう﹃集合愚﹄としか言いようのないことが起きたとき、一体そこにはどういう問題が起きているのでしょうか。 たとえば﹃いじめ﹄は明らかにそういうケースでしょう。また、少し前の﹁高校野球・特待生問題﹂については、限度を超えた特待生制度を行っていた学校も、またそれに対する高野連の処罰も﹃集合愚﹄のごときものでした。総裁選の少し前までやたらと元気な話題だった﹁政治とカネ﹂においても、平気でやっていた政治家︵後援会や事務所の人々、そして党内の人々︶も政治家なら、限度を超えてどうでもいいことまで報道する側もする側…みたいな。そして今日報道されたニュースも、同じ集合愚の典型だったと言えましょう。 真相報道バンキシャ!2007/9/3︵@ウェブ魚拓︶ 杉村太蔵