タグ

廃墟とイタリアに関するlaislanopiraのブックマーク (10)

  • 忘れられ荒廃していた初代ローマ皇帝の廟、修復経て一般公開

    【4月9日 AFP】初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)の巨大な霊廟(れいびょう)が数百年ぶりに修復され、イタリアの首都ローマで先月から一般公開されている。 テベレ(Tiber)川岸にそびえるこの霊廟は、紀元前28~23年、アウグストゥス帝のために建てられた。アウグストゥス帝は40年に及ぶ在位中にローマ帝国を築き上げた人物で、古代ローマの将軍・政治家ユリウス・カエサル(Julius Caesar)は大おじに当たる。 円柱状の基礎部分の直径は約90メートル。かつては上部にイトスギの木がずらりと植えられ、最上部にはアウグストゥス帝の銅像が立ち、廟全体の高さは45メートルほどあった。 アウグストゥス帝とリウィア(Livia)が埋葬されている中心部の部屋は、当初は表面が大理石とトラバーチン(石灰岩の一種)に覆われており、その周囲には一族を埋葬する墓室も用意されていた。 ローマ帝国が滅

    忘れられ荒廃していた初代ローマ皇帝の廟、修復経て一般公開
  • 被災地を丸ごとコンクリートで封じ込める。地震で廃墟化した町を封じ込めた巨大アート : カラパイア


    19681西M5.54001000 10  
    被災地を丸ごとコンクリートで封じ込める。地震で廃墟化した町を封じ込めた巨大アート : カラパイア
  • 壊れゆく豪華客船コスタ・コンコルディア


    姿  5009,600 1沿2
    壊れゆく豪華客船コスタ・コンコルディア
  • 座礁したイタリア最大のクルーズ客船「コスタ・コンコルディア」、引き上げ後の船内の様子 : カラパイア


    2012113422932 201391620147202 
    座礁したイタリア最大のクルーズ客船「コスタ・コンコルディア」、引き上げ後の船内の様子 : カラパイア
  • 退廃の美。ヨーロッパ各地の息をのむような美しい26の廃墟写真 : カラパイア

    写真家のマット・エメットは、ヨーロッパ中を旅しながら、見捨てられ誰にもかえりみられることのない場所に不気味な美を見出そうとしている。これまでエメットは、廃ホテルから発電所まであらゆるものを撮ってきたが、未知の場所に入り込むときは、必ずまずその歴史について調べるという。自分が撮影する場所に秘められた歴史をも写し出すためだ。 このようなすばらしい場所にひとり、あるいは少人数でいることがとても楽しいとエメットは語る。見捨てられた廃墟に漂う雰囲気は、彼にとってアンコールワットやマチュピチュの世界に匹敵するという。

    退廃の美。ヨーロッパ各地の息をのむような美しい26の廃墟写真 : カラパイア
  • アウグストゥスの家 - Wikipedia

    アウグストゥスの家(ラテン語: Domus Augusti ドムス・アウグスティ)は、イタリア ローマのパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にあるローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの邸宅跡。 1世紀末にドミティアヌス帝が建てたドムス・アウグスターナ(皇帝の家)とは隣接しているが全く別の施設であり、アウグストゥスの生家(アウグストゥスの家と表記する資料もある)とも別である。 オクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)は、カエサル暗殺に対する復讐がある程度決着がついた紀元前36年にパラティヌスの丘にあった元老院派クィントゥス・ホルテンシウス(英語版)の邸宅跡を買い取り、自身の住居とした。アウグストゥスはこの邸宅で伝統的で華美に走らない生活を送ることで、世間に対し権力者の謙虚な姿勢を示した。この邸宅はロムルスの家(英語版)などローマ建国伝説の地の遺跡にほぼ隣接して建てられていて、その建物は2階建てで

    アウグストゥスの家 - Wikipedia
  • 転覆した客船コスタ・コンコルディア、引き揚げ始まる 伊

    イタリア・ジリオ(CNN) イタリアで昨年1月に座礁・転覆して32人の死者を出した客船「コスタ・コンコルディア」を引き揚げる作業が16日から始まった。当局者によると、現地時間の17日朝までには横倒しになっていた船体を水平に起こすことができる見通しだ。 コスタ・コンコルディアは総トン数11万4000トン、全長約290メートル。2012年1月にイタリアのジリオ島沿岸で座礁し、半分海に浸かった状態で沿岸の岩の上に横倒しになっていた。 船体は16日夕刻までに約25度引き起こされ、側面に取り付けた金属製の容器に海水を注入。その重みを利用して、海底に設置した作業台に船体を載せる作業が進められている。 同船には乗客乗員4200人が乗っており、このうち32人が死亡した。インド人の男性船員(33)と、50歳の誕生祝いに乗船していた女性乗客の2人はまだ発見されていない。 船体が岩から離れた時点で損傷の程度を調

    転覆した客船コスタ・コンコルディア、引き揚げ始まる 伊
  • 撤去開始の大迷惑客船、失敗なら「真っ二つ」…食料残骸などで海洋汚染も+(1/3ページ) - MSN産経ニュース


     1321611618(SANKEI EXPRESS)  
  • クラーコ - Wikipedia

    クラーコのストリート 10世紀、東ローマ帝国治下のこの地域では、イタリアの修道士たちによって農業が営まれるようになった。 都市の名が最初に記録されるのは1060年である。この街はトリカーリコの大司教アーナルドが治めており、「小さな耕地」を意味する Grachium の名で呼ばれていた。クラーコの地名はこれに由来する。教会による長い統治は、この地域の人々に大きな影響を与えた。 1154年から1168年にかけて、この街の支配はノルマン人と推測されるエルベルト(Erberto)に移った。エルベルトは街の最初の封建領主であった。その後1179年には、Roberto di Pietrapertos がクラーコの領主となっている。1276年には街に大学が設立された。13世紀の間には Attendolo Sforza の指示によって、街のランドマークとなっているクラーコ城が建設されている。 フェデリーコ

    クラーコ - Wikipedia
    laislanopira
    laislanopira 2013/08/07
    地震で放棄された、丘の上の廃墟。なにこれすごい
  • 水没しながらも神々しさを放つ沈んだまま眠る世界7つの教会 : カラパイア



    水没しながらも神々しさを放つ沈んだまま眠る世界7つの教会 : カラパイア
    laislanopira
    laislanopira 2011/05/05
    ダム湖がほとんど 自然災害は一つだけ
  • 1