![新海誠監督『すずめの戸締まり』レビュー:「平成流」を戯画化する、あるいは〈怪異〉と犠牲のナショナリズム(評:茂木謙之介)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f546ae761428927d05f109738801b0d10f88ec26/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages.ctfassets.net%2Fj05yk38inose%2F265Ru5qNgxJ6maib4TZDfr%2F3eeaa4752783bfdacca1978483342726%2Fd16942-137-3d5aaec27815e3b61981-0.jpg%3Fw%3D1200)
0 はじめに 忘却、象徴、祈りと解釈学 本作は現代の日本を舞台とするフィクションであるのみならず、現実の日本の裏面を画面に克明に記録するとともに、象徴天皇制を持つ日本に内在する制度的強制/忘却を如実に示している。 これは牽強付会として一蹴できる解釈ではない。 例えば、晴れ間を望んで「オカルト」や「神頼み」でも軽々しく手を出す人々は、中継までされた一人の少女(=晴れ女)が天に昇っていく同じ「夢」を見ても、何らの疑問も呵責も負わない。文字どおり一夜の夢のように、朝日とともに日常生活が始まるのと同時に忘れ去る。「ありがとう!」と彼らが手を合わせたのは基本的には卑近な願い[1]のためであり、願いの裏でのしわ寄せが具体の他者に降りかかっても、それは自分のせいではないし、その帰結は「自分の知ったことではない(神のみぞ知る)」と嘯くだけであろう。忘却癖(あるいは「過ぎたこと」として儀礼に落とし込んでしま
戦争アニメを見ても責任感のかけらも示さない天皇家の人々 天皇一家(徳仁ナルヒト、雅子、愛子)は18日、前作にシーンを追加してリニューアルしたアニメ『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を鑑賞した。 記事によると、試写会終了後、一家は片渕監督やすず役の俳優のんと懇談し、「圧倒されました」とか「感動しました」などと感想を述べたらしい。 www.asahi.com 「感動しました」。愛子さまは、さまざまな思いを込めたように、のんさんにそう伝えたという。 18日夜、長編アニメ「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(20日公開)のチャリティー試写会での出来事だ。愛子さまは天皇、皇后両陛下とともに出席。主人公の女性・すずの声を演じた俳優のんさん、監督の片渕須直さんと並んで映画を鑑賞した。(略) (略)作品は、戦時下の広島市や呉市を舞台に、主人公すずをはじめとする人々の営みを描き、いつの時代も変わら
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