前提となる知識とか教養がないと良さが分からない美術品ってなんなの? そんなものに価値なんてなくない? 誰が見ても素晴らしいと思えるものに価値があるんじゃないの? そこら辺が納得いかないので俺は美術館とかあんまり行かないし、どうでもよくなる みんなもそうだよな? 美術の歴史なんてそんな詳しくないよな? だから美術品の価値なんてよく分からんよな? 専門家が良いって言ってるから良いと同調してるだけだよな? そう言っておくれよ、後生だから
1484年:コロンブス「ポルトガル王! 西に進めばインドに行けるんや! ワイの計算では可能なはずなんや!」 →ポルトガル王「うちはアフリカ探索が順調に進んどるし、東から行ったほうが有望そうやから却下やね」 1486年:コロンブス「スペイン王! 西回りでインドに行って香辛料貿易でがっぽがっぽ! どないでっか!?」 →スペイン王「ちょっと待っててな、いまイスラム教徒と戦うので忙しいんや」 1492年 スペイン王「イベリア半島からイスラム勢力を駆逐したった! 異教徒から金も奪ったからコロンブスに出資したろ!」 →コロンブス「サンキュー! ワイもスペイン王みたいにインドから異教徒を駆逐してキリスト教を布教したるで! 出航や!」 →コロンブス「苦しい航海の末にインドの島々に到達したで! サン・サルバドル島やイスパニョーラ島と名付けたで!」 →アメリカ大陸(西インド諸島)の発見 ちなみに、当時の「イン
文通相手を探していたところ、1914年(大正3年)に出版された少女向け雑誌『處女』(処女の旧字)を発見した。 この雑誌は大正時代の少女が読者投稿を行うものであり、文通相手の募集も紙面で行われていたのだ。 しかし文通を出そうにも紙面に住所を書いている少女たちはもうほとんどが死んでいるので、しかたなく1914年『處女』9月号に掲載されていた投書を読んでいたところ、ある女性が「女にもてない夫を持つた私の感想」というものを投稿していた。 最初は単なる愚痴かと思ったが、読み込むうちになんかなんだか気分が落ち込んでしまった。 とりあえず書き起こすことにする。 「女にもてない夫を持った私の感想」投稿者:宇佐美米子 私がこの家に嫁いでからもう今年でちょうど5年になります。夢のように過ぎた5年の間には可成(かなり)色々な事がありましたが、楽しいことも悲しい事もみな断片のことであって、私の心に根深く止まってい
中学生の時に若気の至りで本名フルネームで活動してた時期があったんだけど、 久々に恥を忍んで検索してみたら全く引っかからなくなっていた。 当時の仲間たちのHNを記憶の底から引っ張り出して検索してみたけど ほとんど引っかからなくて、一部2000年代中盤まで活動してた人たちのブログが引っかかる程度。 もしかして当時のインターネットってもう完全に焼失しちゃってる? だったらうれしい反面、さびしくもあるんだけど。
“信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014431231000.html ブコメに「なんじゃこりゃ?」ってレベルの言い掛かりがあったので migurin 「帰蝶と書きなおした!知識マウント欲が溢れ出ていていとおかし!」migurin 素直にすごい。どうでもいいけどブコメ、記事に「濃姫」と記載があるのにわざわざ 「帰蝶」と書き直してくるあたり知識マウント欲が溢れでていていとおかし/悪くない。いとおかし、です。 2024/04/24 まったく意味わからん。 ちなみに言及先と思われるブコメはこれ。 mouseion それにしても信長と帰蝶との間に子供が出来なかったのが悔やまれる。 義龍との溝は土岐氏だけでなく姻戚関係の維持も理由
富山県高岡市 新幹線計画が具体的になった80年代から市街地の住民からは”新幹線乗り入れ絶対反対”の声が大きく、まちなかに看板も立っていた。そして具体的なルート図が決まってアセスメント段階になってから慌てて市長を中心に誘致活動をしたが”後の祭り” 北陸自動車道建設のときも反対運動が激しく起こり、結局インターチェンジは砺波にとられた。後から慌てて能登自動車道の高岡インターで”お茶を濁す”。 高岡駅の駅北と駅南を地下道で結んで利便性を高めようという計画が出たら”自分たちの客がとられる”とすさまじい反対運動が起こり、計画は潰れて結局両方の商店街・デパートも廃れてしまう。 高岡はこの繰り返し。キーになってるのは”高岡商人”。 神奈川県藤沢市 相鉄いずみの線と横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸にも似てる話ですね。 相鉄と横浜市が路線を延長する際に、小田急の急行停車駅の長後駅に当時は接続する予定でした。
昔の化学者のエピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる アスパルテームはそのなかでも有名なエピソードかもしれない アスパルテーム - Wikipedia 1965年、アメリカの製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンのテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味を発見した[8][114][115]。トルン・アテラス・ガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。 いわゆる化学者によるセルフ人体実験、すなわち自己実験 うん年前は私も大学で学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじ
自殺攻撃のおかげで勝利した戦いって史実で存在したのかどうか気になる 気になるので軽くググったがすぐには見つからなさそうだ ここでいう自殺攻撃というのはいわゆるカミカゼをイメージしている 一兵士の独断による英雄的自己犠牲的自殺攻撃ではなく 組織的に行われた自殺攻撃 「戦列歩兵とか?」 戦列歩兵……マスケット銃を担いで隊列を組んで前進するアレね 何割かは撃たれて脱落することは承知の戦術なので、まあ自殺的とも言えるかもしれない ちょっとイメージとは違うんだが、当時の価値観なんかを調べるのは参考になるかもしれないな 自殺攻撃が成果を挙げてしまった国はどのような価値観を持つにいたるのか←究極的にこれを知りたいので 絶対先行研究があるはずなんだが、検索ワードを選定しないと資料の海に溺れる予感が強い 「捨て奸とか?」 薩摩の死ぬこと前提の足止め戦術ね うーーーーーん、これは組織的なのか?自殺攻撃的ではあ
今の世の中、選択肢が多すぎて辛い 結婚するorしない 子供作るor作らない 転職するorしない ゆるキャリorバリキャリ 他にも色々 選び放題で自由なのかもしれないけど自由って辛い 選んで失敗すると自分が嫌になるし 失敗してないかもしれない今も別の道があるんじゃないかそっちの方がいいんじゃないかって悩んでしまう 昭和って、男は死ぬほど働いて女は主婦で子供産むってはっきりしてるじゃん それがよかった 昭和ならなんにも考えずに結婚して子供産んでただろうけど今は考えることがありすぎる 世の中のせいにできない すべて自分の責任になる今の時代は嫌だ だから病んでる人多いんだと思う やること決まってない状態が人は一番辛いのかも (追記) 正しくは変革期に産まれたくなかった、かもしれない 1999年生まれなんだけど、小さい時はお金持ちと結婚することがよしとされてて 中学あたりからは女でも手に職をつけよう
そろそろよくね? ほそぼそとやるのはいいよもちろん ______ バズったから何か書こうかな 年表でも書くか 2023年 |(53年) 1970年 沖縄返還 |(25年) 1945年 太平洋戦争終戦 |(4年) 1941年 太平洋戦争 1937年 日中戦争 1931年 満州事変 |(9年) 1922年 シベリア出兵終わり 1918年 シベリア出兵 1918年 第一次世界大戦終戦 |(4年) 1914年 第一次世界大戦 |(9年) 1905年 日露戦争終戦 1904年 日露戦争 色々 1895年 日清戦争終戦 1894年 日清戦争 20世紀前半は戦争し過ぎだな 20世紀後半はその後悔の半世紀って感じだったけど 現代はもっと現代の戦争を学ぶべきだと思うわ 比較として地震を持ってこようとして調べたんだけど 大災害としての地震ってさ 1896年 明治三陸地震 1923年 関東大震災 1995年 阪
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