![女性宮家案「粉砕すべきだ」 日本会議議員懇で強い反対:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/707c5d2ebe5818175f52ae6caab2fda096bbcd26/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Farticles%2Fimages%2FAS20170523004650_comm.jpg)
1 三島三島三島三島・・・・天皇天皇天皇天皇・・・・超越超越超越超越 ポストモダン状況下のわが国において、三島由紀夫を再読する試み 志紀島啓 浅田彰は彼の最初の、そしてほとんど唯一のまとまった著作である『構造と力』1) のな かで、いわゆる「禁止と侵犯の弁証法」について以下のように述べている。 「監視が厳しいほどイタズラのスリルが増す、日常の規律が厳格であるほど祝祭の興奮が 高まる、禁止されているからこそ侵犯の快楽が身を灼く、といった愚にもつかぬ「弁証法 的関係」、いやむしろおぞましい共犯関係は、そのような秩序のもとでのみ成り立つものだ った」(『構造と力』p225、以下の引用では構造と略す) そして、さらにこれに関する注で「これがたとえば三島由紀夫がバタイユから読みとっ たもののすべてであり、その結果があの面白くもない兵隊ごっこだった」(構造p226) と書き添えている。 果たして、こ
http://tu-ta.at.webry.info/200609/article_6.html *1 2006年のエントリーなのだけれど、つい最近コメントが新たに付いたよう。このエントリーとは直接関係はないのだが、「天皇制」について思っていることを若干メモ。 「天皇制」を擁護する人もそれに反対する人も、「天皇制」という特殊日本的な用語をひとまずは避けて、人類学用語としての王権、政治学用語としての君主制という一般的な用語を使って、思考・議論した方がいいのではないかと思う。議論は君主制か共和制かという政体の選択の問題として進められるべきだということだ。皮肉なことに、〈反天皇制〉を掲げることによって、「天皇制」に反対する人も〈世界に唯一無二〉という天皇制イデオロギーにさらに深く絡め取られたままになってしまう。 安丸良夫『近代天皇像の形成』第二章「近世社会と朝廷・天皇」では、江戸時代の儒者たちの
自分が浅学非才であるうえにいまもってまったく整理できていないのを承知で以下。 書く経緯となった発端はこのツイート。 ぼくは今でも「日の丸は記号にすぎない」という言説に強い反発を覚える方々からの反論のロジックを募集しています。せっかくなので直接コメントをいただければ。 — 金明秀 KIM, Myungsoo (@han_org) June 28, 2013 もちろん自分は金明秀氏のようにナショナリズムを専門分野としているわけでもなく(それどころかロクすっぽ学問などに身を投じたこともない人間)、以下においていくつかの誤りや撞着、はたまた論理破綻があるだろうことは容易に想像できるのだが、そこはいったん考えずに書き散らしてみる。 ■「日本」と「太陽」と「日章旗」 日章旗について触れる前にこれについて触れておく。 「日本」神話についてもっとも有名な神はだんとつで天照大神であると言っても過言ではない。
昨年の天皇誕生日周辺に,天皇制*1の是非を問うエントリが幾つか上げられた。 ぼくはそれらの議論をここでなぞろうとは思わない。ぼくは日頃公言しているように天皇陛下を敬愛している。けれど,それでも,解消しようのない矛盾が天皇制にはあると思う。 右翼はアイヌや沖縄を包摂する論理を構築すべきではないのか - ここギコ! このエントリでid:kokogikoさんが提起する問題意識をぼくも共有する。別のエントリで述べられている「大部分のマスを占めているとはいえ一部分の,全体を網羅できないモチーフやフィクションが,残りの少数を疎外するのならば,全体の統治からはモチーフやフィクションを切り離さなければいけない」*2という発想だ。 勿論,例えば移民とかで新しく来た人はこちらの流儀に従え,という理屈はアリだろう。けれど,アイヌや沖縄は違う。われわれが征服したのだ。われわれが「国」の名の下で神道の祭祀を継続する
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