﹁原発事故で、答えは他人に求めちゃダメだと知りました﹂。福島でフリーランスの編集者をしていた木下真理子さん。現在も福島で編集と写真の仕事をしていますが、あの日から10年間、変わらずに続けられた訳ではありません。放射線、避難、子育て…さまざまな対立や分断が起きた福島。それでも、木下さんは語ります。﹁官邸にいた議員も福島にいた私も、あのとき死ぬかもしれないと思った。いた場所が違うだけで、同じ﹂…。これまでの葛藤と、これからについて聞きました。︵Yahoo!ニュース Voice︶ 2011年。木下さんは福島県で約7年、地域のコミュニティ情報誌﹁dip﹂の編集長を務めていた。都市のまね事ではなく、福島の暮らしの良さや楽しさを認識できるようになったと感じていた。そんな時、震災と原発事故で日常は一変したという。 ――震災当時の状況は? 木下真理子さん‥ 震災後も取材を続け、2011年4月にもdipを発
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