Yahoo!と防災に関するmohnoのブックマーク (2)
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東日本大震災後に登場したLINE2011年3月11日の東日本大震災から12年。当時はまだスマホもほとんど普及しておらず、多くの人がいわゆるガラケーを利用していた。LINEもなかった。連絡手段はほとんどが携帯電話のメールが主流だった。東日本大震災では電話が不通になってしまい、多くの人がメールやTwitter、FacebookなどのSNSは利用できたので、ネットが電話の代わりに利用されて、安否確認に大いに役立った。特にTwitterやFacebookで自分や周辺の情報を世界中に写真や動画で発信したり、メッセージ機能で個別に連絡を取り合ったりしていた。SNSが震災時の安否確認に役立った世界初の事例として海外からも注目された。 今でこそ、スマホが普及してLINEがコミュニケーションの中心になっており、LINEのない生活なんて想像できない人も多いだろう。だが、東日本大震災時にはまだLINEがなかった
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関西に大きな被害をもたらした台風21号。兵庫県芦屋市の人工島にある住宅地でも床上浸水など大きな被害が出ました。この場所では10年以上前から住宅の分譲販売が始められたのですが、住民たちは﹁高潮による被害はない﹂という説明に安心して住宅を購入したと憤懣しています。 兵庫県芦屋市の南芦屋浜。人工的に造られた島で周囲は海に囲まれています。兵庫県が地域整備事業としてニュータウンを開発していて海に面した眺望が人気の住宅街には現在約2000世帯、5000人が暮らしています。ところが… 防潮提を軽々と超え、住宅地に迫る高潮。関西を縦断した台風21号の影響で床上17件、床下230件という大きな被害が出ました。台風による強い風が引き起こした高潮は防護柵を破るだけではなく、神戸港から流出した複数のコンテナを運んできました。ここに住む夫婦は4年前、念願だった一戸建て住宅を購入しましたが、台風が直撃したとき、自宅周
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