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未組立プラモ写真家。稀に組む。山登る。からぱたへのお問い合わせ、文章・写真・DJ・飲酒のオファーはTwitter @kalapattar からどうぞ
大好きだった、そして仲良しだった野際陽子さんへ NHKに入ったのが、およそ60年前。あなたはアナウンサー、私は放送劇団。その頃からもう気が合っていて、一緒にフランス語を習ったり、同じお洋服屋さんで、お洋服を作ってもらったり。 私は、あなたの感覚が、好きだったし、何より正直だった清らかなあなたが好きでした。 長いことFAXでやりとりしましたね、流れるように美しい字のあなたのFAXは、カタカタと静かに送られてきました。大きくてガタガタの字の私のFAXは、あなたと対照的に、恐らく、ドタドタとお宅に到着したことでしょう。 いつになったら、あなたが「やすらぎの郷」に沢山出ていらっしゃるかと、楽しみにしていました。あなたが病気で、それどころではない、なんて知らなかったのよ。一緒に芝居をやりましょうとか、よく話しあいましたね。 野際さん、胸がいっぱいで、悲しく、なんと言ったらいいのか、わかりません。転勤
1980年代末、アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国。都市部のゲットーでは、欧米からの影響で、ハウス・ミュージックがポピュラーな存在として定着していた。そこから発展して生まれたのが、「KWAITO(クワイト)」。テンポを落とし、ズールー語やスラングのチャント、そしてパーカッションからピアノなどを取り入れたアフロ・ハウスで、これを機に南アフリカのクラブ〜エレクトロニックミュージックは、独自の世界を生み出して行く。欧米のそれとは明らかに異なり、進化し続ける南アフリカ電子音楽シーン。各都市、各ジャンルを代表するアーティスト、プロデューサー、DJを訪れ、南アフリカ産エレクトロニックミュージックの今を三回に渡りレポートする。 第一回は、ダーバン、ヨハネスブルグ編。ディープなアンダーグラウンドハウス「GQOM」や、伝統的な民族音楽とミニマル・テクノをミックス&高速化させた「シャンガーン・エレクトロ(S
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