久しぶりに、﹁薪山﹂と、勝手に自分が言っている近くの山に行ってみる。 風の強い台風が、今年は2つ連続して来たので、山道は、折れた竹や、木の枝が散乱してずいぶん荒れ果てている。 ストーブにくべる粗朶にしようと、竹を払い、風で折れた木の枝を拾う。 風で折られて、間もない枝なので、腐ってもおらず、また生木でもなく、丁度いいぐあいに乾燥している。 ぽきぽきと折りながら軽トラの荷台に入れていく。 次の曲がり道が見えるところまで綺麗にしたら、今日は終わりにしよう。 読んだ小説の中で、ふとひっかかる一節がいくらかあって、今の自分の状況によって、落っこちてくる事がある。 ﹁粗朶をくべるのが、何故、かほどにおもしろいのか・・・・・﹂ 池波正太郎の﹁真田太平記﹂中、年老いた甲賀忍びの首領が、 つぶやく一節である。 彼は、このまま粗朶をくべつつ、朝になったら、そこでそのまま脇息にもたれて冷たくなるのだが。 こん
![どんな死に方がいいかといえば・・・ | 森永豊の硝子小屋日記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2b31cb021c6ac0611b855d8f8d154d30923a9b88/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmori.firebird.jp%2Fwordpress%2Fwp-content%2Fplugins%2Fall-in-one-seo-pack%2Fimages%2Fdefault-user-image.png)