![歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか(與那覇 潤) @gendai_biz](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c52162939b21ee59880b38acad0a064e8ff8b5f9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F4%2Fe%2F1200m%2Fimg_4e5ee43723905615655adc634f6b9826309891.jpg)
諮問機関が登録勧告 奄美・沖縄は登録延期 文化庁は4日、日本が世界文化遺産に推薦していた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本県)について、登録の可否を事前審査する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が「登録が適当」とユネスコに勧告したと発表した。一方、環境省は世界自然遺産に推薦していた「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」(鹿児島、沖縄県)について、ユネスコの諮問機関、国際自然保護連合(IUCN)が「登録延期」と勧告したことを明らかにした。 いずれも6月24日~7月4日にバーレーン・マナマで開かれるユネスコ世界遺産委員会の最終審査で正式決定する。文化遺産は勧告に従い認められる可能性が極めて高いが、自然遺産の登録延期は四つの勧告内容のうち下から2番目の評価で、今年の登録は見送られる公算が大きい。
朝日新聞社は3月中旬から4月下旬に、平成の時代認識や憲法について尋ねる全国世論調査(郵送)をした。天皇陛下の退位日が来年4月30日となったことを受け、平成とはどんな時代かを八つの選択肢から二つまで選んでもらうと、最多は「動揺した時代」で42%。平成で一番印象に残る世の中の出来事を自由回答で一つだけ挙げてもらうと、東日本大震災や阪神淡路大震災などの「自然災害」がトップで、52%と突出していた。 平成とはどんな時代かの質問で「動揺」に次いで多かったのは、「沈滞した時代」29%。続いて多かった順に「進歩的な時代」25%▽「保守的な時代」21%▽「安定した時代」19%▽「暗い時代」9%▽「活気のある時代」6%▽「明るい時代」5%となった。 この質問は2009年(平成21年)2~3月の郵送調査でも同じ選択肢で尋ねた。当時は調査対象が20歳以上と今回と異なるため単純比較はできないが、このときも「動揺し
はじめに 日本の人口は2017年10月1日時点で1億2670万人ほど。都道府県の人口1位はもちろん東京都で、1372.4万人。最下位となる47位は鳥取県で、56.5万人。その差は約24倍にもなります。 現在ではあまりにも当たり前の東京の人口1位。しかし、かつては東京が人口1位ではなかった時代が続いたことは、あまり知られていません。 現在は東京が1372万人、ぶっちぎり 逆に人口ワーストは山陰と四国、北陸の県。 元来日本はここまで東京一極集中ではなく、その地方に応じた産業が活発で、今より地方が元気な時代がありました。 人口の統計がはじまった1872年から見てみると、実は東京ではなく、意外な都道府県がトップに立っていることが分かります。そんな思わぬ再発見の多い「歴代人口ランキング」(※)を見ていきましょう。 ※:採用する人口データは、1872~83年までは本籍人口。1884~1907年までは乙
カースト暴動で焼かれたトラックを見つめる持ち主の男性=ビマ・コレガオンで2018年1月23日、金子淳撮影 インド独立の父、マハトマ・ガンジーが暗殺されてから30日で70年。インドではカーストや宗教間の対立はここ数年、むしろ深まっている。インド社会の融和と平等を目指したガンジーの理想の実現はなお遠い。 インド西部ビマ・コレガオン。幹線道路沿いに焼け焦げた車やバスが放置されていた。「暴徒が放火して回った。こんなことは初めてだ」。カースト制の最下層として差別されている不可触民「ダリト」のラジェンドラさん(60)は嘆いた。 暴動が起きたのは今月1日。1818年にダリト主体の英国軍が上位カーストのマラタ王国との戦争に勝利した記念式典に数千人のダリトが参加したのに対抗し、ヒンズー至上主義集団が付近でデモをする過程で暴徒化してダリトを襲撃した。ラジェンドラさんは「いつ再発するか分からない」と不安を語る。
原作(深見じゅんのマンガ)は未読ながら、かつてオンタイムで見ていたドラマ『ぽっかぽか』(1〜3,1994-97)が、BS-TBSで再放送されている。「花王・愛の劇場」枠で放送されたいわゆる「昼ドラ」だが、これが何よりも印象的なのは、幼稚園児の田所あすか(上脇結友)が、父親の慶彦(羽場裕一)を「チチ」、母親の麻美(七瀬なつみ)を「ハハ」と呼ぶということであった。 「チチ」「ハハ」は、現代でこそ改まった場で自分の父親・母親をいう呼称だとされるが、同音連呼だから、「ヂヂ」(爺)「ババ」(婆)「おテテ」(手)「おメメ」(目)などと同じく、元来は幼児語であったと推測される。 しかし今は、藝能人やスポーツ選手などが、公の場で自分の父母のことを「お父さん」「お母さん」などと言おうものなら、特に中年以上の方々から、ケシカラン、という内容の声や投書が届く。「チチ」「ハハ」と言わせろ、というわけだ。 ところで
刃傷事件について記されている「江戸江遣書状留帳」。「乱心」と書かれている=京都市下京区の西本願寺で、小松雄介撮影 赤穂浪士討ち入りのきっかけとなった赤穂藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷事件に触れた新たな古文書が浄土真宗本願寺派本山・西本願寺(京都市下京区)の本願寺史料研究所で見つかり、同研究所が2日発表した。事件直後に作成されたもので、内匠頭が「乱心」したなどと記されている。刃傷事件について同時代に書かれた史料は見つかっていないといい、同研究所は「当時の状況が分かる貴重な発見」としている。 刃傷事件は元禄14年3月14日(1701年4月21日)に発生。内匠頭が江戸城松の廊下で吉良(きら)上野(こうずけの)介(すけ)に切りつけた。赤穂藩は取りつぶし、内匠頭は即日切腹となり、元禄15年12月(1703年1月)に家老の大石内蔵(くらの)助(すけ)らが吉良邸で上野介を討ち取った。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く