あ、そうだ。映画﹃童貞放浪記﹄はエンドクレジットのあとまで観て下さい。 http://d.hatena.ne.jp/maasha/20090808/p1#c UBCでの博士論文執筆資格審査試験に落ちた時のことは前に書いた。その時鶴田欣也が、私の答案の非論理をいちいちあげつらったことも書いた。 しかしその中に、三島が川端について﹁文体がない﹂と書いたことについて、鶴田先生は﹁これは歴史がないということだ﹂と言い、私は﹁ヘーゲル的な﹂と呟き、鶴田はイエスと言った。 だが、のちのちまで、このやりとりが気になった。三島の﹁文体がない﹂という簡単な言を、いかなる学問的手続きによって﹁歴史﹂と解釈するのか。また、ヘーゲル的歴史とは何か。論理性を指摘した鶴田のその日の発言の中で、この個所だけが浮いていた。 帰国後、私はヘーゲルを読もうとした。しかし、歯が立たなかった。歯が立たない、ということを、一般的に