![「かつてない空海展になる」――奈良国立博物館で4月13日開幕の「空海 KŪKAI ― 密教のルーツとマンダラ世界」展](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e68dbc04d960befd332dad6ab053976342dee6be/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fartexhibition.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2023%2F10%2FMicrosoftTeams-image-17-560x385.jpg)
■「新しい人生が始まった」 「私はすべての人間が平等であると信じます。今日、新たな人生を手に入れたと信じます」 昨年10月下旬、刺すような日光を遮る天幕の下で、数百人が手を合わせ、僧に続いて唱和した。改宗の儀式だ。終わると、仏教徒になった証明書を受け取る。「インドのへそ」とも呼ばれ、国土の中心に位置するナーグプル。毎年9~10月の数日間、改宗をする人やそれを祝福する仏教徒ら数十万人が集まる。 約900キロを鉄道でやってきた大学生ラワン・パル(23)は、「不可触民(ダリト)」と呼ばれてきた、カーストで最底辺層の出身。両親の希望で、改宗式にやってきた。「家を借りるのが難しく、ヒンドゥー教寺院に入ることも許されない。学校では教師から避けられ、警察からも嫌がらせ。犬のような扱いだった」 2007年に改宗して以来、毎年この地に来るナラヤン・アムテ(69)は「犬の方がまだいい」とさえ言う。「犬は村の井
東京・芝のランドマーク芝大門。明治初頭に増上寺からこの大門を譲り受けた東京都が今春、138年ぶりに無償で返還した。戦後、伽藍(がらん)整備を進める寺側が返還を求めたものの、都の財産目録に見当たらず、約40年間、所有者が宙に浮いたままになっていたという。 大門は広大な敷地を有した増上寺の四門の一つ。1871(明治4)年の新政府の上知令で寺領が没収された同寺は78年、管理が難しくなったとして四門を東京府(当時)に寄付した。そのうち大門だけが残り、1937年に東京市(当時)が従来の木製から鉄筋コンクリート製に造り直し、現在に至っている。 同寺の記録によると、門の所有を巡って都と増上寺との間で問題になったのは74年。本堂建立や伽藍の整備を進めていた寺側が大門の返還を求めたところ、都側は「都の財産目録になく、譲渡はできない」などと回答。足踏み状態が続いていたという。 ところが、その間も大門は老朽化し
■後継者選定で綱引き 【北京=矢板明夫】チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(79)が、ドイツ紙ウェルトとの会見で、自身の後継問題を踏まえて、「チベット仏教の転生制度を廃止すべきだ」と述べたことが、波紋を広げている。中国外務省の華春瑩報道官は10日の記者会見で、「発言はチベット仏教の正常な秩序を大きく損なうもので、中央政府と信者は絶対に認めない」と反発し、転生制度の維持を求めた。 ダライ・ラマを含む活仏の転生制度は、チベット仏教の輪廻(りんね)観に基づく。高位の活仏は死後、教義に沿った生まれ変わりの霊童探しで後継者が選定される。転生制度の存否は、亡命先のインドで高齢を迎えたダライ・ラマの後継選定、さらにはチベット問題の行方に直結するものとして、これまで注目を集めていた。 中国政府は、無神論を信奉する共産党の一党独裁ながら、チベットでの転生制度を容認。高位の活仏だったパンチェン
質問1 オウム真理教の教えについて概要を説明して下さい。 答 はじめに結論的なことを申しますと、オウム真理教の教えは一見仏教的ですが、「個人の尊厳」と「生命」をないがしろにするこのような教えは、けっして仏教であるとは言えません。 オウム真理教は1980年代半ばに、「ただ一人の最終解脱者」を自称する麻原彰晃(本名・松本智津夫)教祖が15人ほどのメンバーとともにヨガ道場を始めたことに端を発する「新宗教」と称される新しい宗教団体です。オウム真理教の教えは、インドの思想を底流にしながら様々な宗教の教えを取り込みつつ、日本人にも馴染みの深い仏教的な観念を現代風にアレンジしたもの、といえます。 オウム真理教における最高の神はシヴァ神です。シヴァ神は本来ヒンズー教の神ですが、オウム真理教においてはそれと同一ではなく、世界における唯一最高なる神であり、キリスト教でいう「ゴッド」も、仏教でいう「大日如
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