![バター猫のパラドックス - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7445746b027b08ece6c1758c0283ce151c36163f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2F2%2F20%2FButtered_cat.png)
パラドックスと呼ばれるものの一般的な構造(左側)、そして解決の基本的な三つのパターン(右側)[1]。図では示されていないが、前提には明示されるものと、そうでないものがある。パラドックスを取り扱う際は、明示されていない前提にも注意を払っていく必要がある。 パラドックス(paradox)とは、正しそうな前提と、妥当に思える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。逆説、背理、逆理とも言われる。 パラドックスとは[編集] 「妥当に思える推論」は狭義には(とりわけ数学分野においては)形式的妥当性をもった推論、つまり演繹のみに限られる。しかし一般的にはより広く帰納などを含んだ様々な推論が利用される。また「受け入れがたい結論」は、「論理的な矛盾」と「直感的には受け入れがたいが、別に矛盾はしていないもの」に分けることができる。狭義には前者の場合のみをパラドックスと言い、広義には後者もパラ
全能の逆説(ぜんのうのぎゃくせつ、英: omnipotence paradox、全能のパラドックス)とは、論理学・哲学・神学等において、全能と論理学的不可能との関係を扱った問題[1]。この逆説は全能者の論理学的矛盾を示しており[2]、極端な例で言えば、全能者は自分自身を《永遠にいかなる意味でも存在しない》ようにすることはできない[3]。他の例で言えば、全能者は「四角い円」や「7+5=75」を成立させることができるように見えるが、それらは論理学的不可能であり、全能者は矛盾している[4]。全能者はどんなことでもなし得る、と考えることは論理学的に正しくない[3]。 もし全能が《論理学を超越した能力》である、または《神(全能者)の論理》であると言うなら、全能とは、「四角い丸」のような形をも作成できる《非論理学的能力》である[5][注 1]。この場合、全能についての主張・議論等から論理学を切り捨てる
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