考えに関するn_pikarin7のブックマーク (7)
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きっと何者にもなれないであろう僕達の生存戦略 - teruyastarはかく語りき http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20111019/1319053556 先日書いた記事。 明石家さんまさんの言葉を引用しつつ、 ﹁現実はどうあれ失敗を自分で笑えるぐらい楽しもう﹂ みたいにまとめましたが、 以下のコメントをもらいました。 通りすがりの人 何も行動できないネガティブ人間が、﹁失敗﹂の見方を変えるのって、 かなり無理をしていることであって、 楽しさを探すどころか余計に疲れてしまう気がするかなぁと思ったのですが… 確かに。 恋愛でも、仕事でも、お金でも、自分の失敗すら笑おうというのは、 お笑い芸人ならTVやラジオで、 後でネタになる意味でおいしいかもしれませんが、 ネガティブな人にはそれすらちょっと無理がある。 ﹁失敗﹂にフォーカスしたのは失敗でした。 ﹁楽しさを
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Saturday, August 14, 2010 日本は残業ばかりで休みも取れないのに、休み放題残業なしの欧米社会が機能する理由 Share | ﹁なんで欧米では、残業も少ないし休みも沢山取れるのに、日本ではそれが出来ないんだろう?﹂欧米、特に欧州の労働環境について知っている人は、そういう疑問を頂いたことがあるでしょう。この疑問に答える仮説を私は持っています。しかし、これは欧米企業の経営が特別優れているからではありません。どちらかというと、それを出来ない日本企業のほうに問題があるのです。 作り過ぎ、捨て過ぎ、値下げし過ぎの日本企業と、最適値のみを目指す欧米企業 ある日本企業は、資本150で成果物200を生み出すとします。ここで言う資本とは、労賃、土地、材料費、光熱費など全てを含めた投下資本︵≒コスト︶をさし、成果物200とは、生産された商品とその値段をかけた数値とします︵例、1円のりん
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題名の通りに最近そう思うようになった。しかし自分自身について冷静に考えたら、相変わらずダメなところも多いし、良くないところも多い。精神的に常に安定していて大人の対応が出来て人間関係もそつなくこなせて…ということはない。全くない。友達とか多いわけでもないし対人で困った事も起きる。家族とは諍いを起こす。うるさいなあもう、とか言う。相手にむかついた事を伝えすぎてる気もする。イライラもする。いらないものを買ってしまったり、買ったばっかりの掃除機を取扱説明書を見ないでやってはいけない事をしてすぐ壊した。*1この判断間違ってやしなかったかということも多い。仕事でも失敗する。仕事上の人間関係でこいつ口だけだなとか思っちゃう。自分も口だけだったりする。ただ、それでも、まあいいや、と思うようになった。多分、そんなにこだわりがなくなってきたからだ。こだわりには自分自身も含め。時々、うおーこれでいいのか!と発奮
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貯金が無いまま結婚するのは危険か考えるためのメモ。 ここに至るまでに色々な人の結婚ブログとか結婚準備のサイトとか 掲示板とかいっぱい見てきた。 ■私‥若干貯金︵世間一般からしたらゴミみたいな金額︶ある。そんかわり夢はあんまない。いい歳 ■旦那︵予定︶‥貯金がない。少しとかじゃなくてゼロ。そんかわり夢はすごいある。いい歳 俗に言う夢を追う人ってわけじゃないよ。ミュージシャン目指してるとかそういう。 普通のリーマンで月給も歳の平均くらいだろう。 別にお金使う趣味もないしギャンブルもしないし何に使ってんだろうと思って観察してたら 食費がすごかった。一日に5000円くらいつかっとる!食い過ぎ!!体にも悪い。 だから毎月2万くらいしか貯金できないと言い切られたんだ。 それなりに言い合いになって﹁もうちょいなんとかなんだろ!自分の腹の虫くらい制御しろ!﹂と詰め寄ってみたが無理だった。 まぁもう言っても
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右の図は、本流トヨタ方式の全体像をイメージしていただくためのものです。 図を見てお分かりになるように、本体の﹁本流トヨタ方式﹂は、﹁自働化﹂と﹁ジャスト・イン・タイム︵JIT︶﹂の2本の柱に支えられています。この2本の柱は、﹁土台にある哲学﹂の上にしっかりと建立されているのです。 企業の土台にある﹁哲学﹂というのは、日本的経営の根本をなすモノです。﹁○○家の家訓﹂﹁□□の遺訓﹂﹁社是﹂といった形で、歴史ある会社には必ずあるモノと言ってよいでしょう。 トヨタで言えば、 1935年 佐吉翁の遺訓として成文化された﹁豊田綱領﹂ 1938年 豊田自動車新工場移転時の喜一郎氏の﹁誓文﹂ 1963年 TQC推進体制整備に向けた﹁基本方針﹂ 1983年 トヨタ自工・自販が合併した新生トヨタとしての﹁基本方針﹂ 1989年 国内販売200万台達成時の﹁基本方針﹂ 1992年 巨大化した組織を束
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同性の友人がいない女は、色んな意味で注意したほうがいいというのは、割合周知の事実である気がする。思春期の頃とかは痛い子が主にそういうカテゴリに属するが、段々とビッチ女にシフトしてくる。狭いコミュニティ内で女友達の彼氏を奪ったり、異性の前で露骨に態度が変わるので、基本的な信頼関係に欠けるのである。 しかし気づけば自分にも同性の友人など殆どいないという事に気づいた。 その傾向は高校くらいからあった。授業では理系クラスに所属。4分の3くらいが男子だった。あと、︵身バレするかもしれないが︶小さい頃からそれなりに本気で野球をやっていた為、男子に混じって野球部に所属していた。この点でまず浮いたし、もともと群れるのは苦手としていて、﹁いたらいたでそいつと話す、メシ食う、寄り道する﹂の男子の関係が好きだった。なんか、﹁一緒に音楽室行くって約束だったじゃない﹂みたいなのが苦手だった。 大学でも、学部では男子
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