竹入 義勝︵たけいり よしかつ、1926年︿大正15年﹀1月10日 - 2023年︿令和5年﹀12月23日︶は、日本の政治家。衆議院議員︵8期︶、東京都議会議員︵1期︶、文京区議会議員︵1期︶を歴任。位階は正三位。1967年から1986年まで公明党委員長を務め、言論出版妨害事件では中心となって動いた[1]。1972年7月に独自のルートで中国の周恩来首相と会談し、同年9月の日中国交正常化の橋渡しを行った︵竹入メモ︶[2][3][4]。 経歴[編集] 長野県上伊那郡辰野町に生まれ、北佐久郡軽井沢町で育つ[5][6]。旧制伊那中学を経て、国鉄︵現‥JR東日本︶に勤務[7]。創価学会に入会。 1959年4月、文京区議会議員選挙に無所属︵創価学会推薦︶で立候補し、初当選。 1961年11月 - 公明政治連盟の結成に参加。この頃、自由民主党本部に出入りし、政治大学校︵現‥自由民主党中央政治大学院︶の講