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アタリショックと任天堂: 「アタリショックは任天堂の捏造」という捏造 作者: 広田哲也出版社/メーカー: 発売日: 2020/08/14メディア: Kindle版 〇「アタリショック」という概念、言葉は任天堂が捏造したものだったのか? 答えはここにある。 (任天堂雑学blog) 〇「アタリショックの嘘と誤解」の嘘と誤解(その2) (同上) 本エントリーは、Webサイト「任天堂雑学」を運営する広田哲也氏が上梓した書籍『アタリショックと任天堂』を批判するものである。 当該書籍は極めて難点が多いが、特に看過できないのが副題にも挙げられている「アタリショックは任天堂の捏造」とのテーマだ。 広田氏は『アタリショックと任天堂』を執筆するに至った動機として、とあるブログの主張に疑問を感じことにあると述べている。本書の中では(何故か)名が明かされていないが、これはゲーム史研究家のhally(田中治久)氏が
『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ
なんとも残念な結果です。 「ゲンロン8 ゲームの時代」という書籍内の、ゲームの歴史について数十ページにわたって語られている記事には、あまりにも事実誤認が多く、各方面からの激しい指摘が飛び、大きな話題を呼んでしまったことをご記憶の方も多いでしょう。 でもって、電ファミニコユーザーさんが一肌脱いで、60ページほどの記事内にある、200箇所を越える問題点の指摘を著者の方々に提示したのですが、それに対する書籍サイドからの返答がこちらになるわけです。 『ゲンロン8』共同討議へのご指摘に対する返答 うん。ここまで真摯じゃない返答は、めったに見られるものじゃありません。昭和の時代の役所のようだ。 かくして、この騒動は、各方面にダメージだけを残し、結果としてみんなが損をしてしまうという最悪の方向に着地することになりそうです。なんとも残念な結末だなぁ。 この騒動で、もっともダメージを受けるのは、アカデミズム
MIB@C99木曜日南地区“よ”-27a Skeb受付中 @MIBkai ドラクエが名作か名作でなかったかで言えば文句なしの名作ですけど「まずPCに数十万円かけないと買えなかったし遊べなかった当時のRPGをファミコンに持ってきたあたり」が名作の名作たる所以であるわけで。当時の話とか見てるとあからさまにドラクエ史観は変なんだよな。 2018-10-01 21:05:18 ふゅ〜りあす @tebasaki_s 「20万も30万もするAppleでしかプレイ出来なかったウィザードリィとかウルティマを当時の小中学生が知ってる訳ないだろ!バカ!」と吠えていた人がいたが、普通に子供も知っていたからなぁ。「知っているけど手が届かなかったゲームがファミコンに!」みたいな感じでヒットした商品は多い。 2018-10-01 22:28:29
by Tekniska museet - CDi-Spelare オランダの家電メーカー・フィリップスと任天堂が共同開発して生まれたゲームハードが「CD-i(コンパクトディスク・インタラクティブ)」です。CD-iは特に話題になることもなく市場から消えていきましたが、実は「CD-iが開発されなければソニーのPlayStationは生まれなかった」とすらいえる存在です。 The History of the Philips CD-i, Failed PlayStation Ancestor - Atlas Obscura https://www.atlasobscura.com/articles/the-history-of-the-philips-cdi-failed-playstation-ancestor The New International CD-i Association ht
ビデオゲームの語り部たち 第1部:焼け跡に生まれ,スペースインベーダーとともに戦後のエンターテイメントを支えた「池袋ロサ会館」 ライター:黒川文雄 最初に,この連載を始めることになったきっかけを紹介したい。 2015年に遡るが,私の会社(ジェミニエンタテインメント)は,老舗の映画会社である日活と共同で「ATARI GAME OVER」(アタリ ゲームオーバー)という映像ソフトの販売権利を獲得し,日本語字幕版発売への準備に入った。 ATARI GAME OVERは,ATARIの創業から没落(いわゆるアタリショック)までを追った良質なドキュメントムービーである。しかし,同じものが海外の動画サイトで視聴できるということもあって,日本語版には独自の特典を用意したいと思い,ATARI創業者の1人で,現在もエンターテイメントやITの分野でアグレッシブに活躍するノーラン・ブッシュネル氏の独占インタビュー
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