社会と思想に関するniwakano18124のブックマーク (3)
-
﹃21世紀の資本﹄で一躍世界的に有名になったフランスの経済学者トマ・ピケティの新著﹃資本とイデオロギー﹄の刊行後、現在の先進国社会における政治的対立の構図をめぐる議論が盛んに行われている。 このエッセイでは、ピケティの著書そのものを議論する前提として、近年の比較政治研究において明らかになっているいくつかの事実と論点を紹介しておきたい。ピケティの著書は、彼独特の大規模なデータ収集と独自の分析によっているものの、比較政治研究の蓄積とのかみ合わせに意が払われているわけではない。 また、これらの議論が多分に政治的関心とともに行われているため、議論はしばしば単純化された路線対立の形をとり、経験的研究が明らかにしているニュアンスが捨象されがちである。しかし、十分に腑分けされた知見を基礎としなければ、政治的主張も誤ったものになる。そこで本エッセイでは﹁ピケティを読む前に﹂﹁ピケティをより良いかたちで理解
-
正義論︵A Theory of Justice︶とは、アメリカの哲学者ジョン・ロールズの著作﹃正義論﹄で展開した、現代の実際の社会の中で﹁正義﹂を現実にすることを構想した思想のことです。 ロールズ以前や以後にも正義について論じられたことあはりますが、正義論と言われるのは主にロールズの思想だとお考えください。 ところで、あなたは、現代社会が完全に平等で公正な社会だと思いますか?多くの方は﹁いや格差社会だ﹂﹁不平等だ﹂と言われるのではないかと思います。 このような時代に生きる私たちにとって、ロールズが提起した﹁正義とは?﹂﹁真に平等で公正な社会とは?﹂という議論はとても意義のあるものです。 そこでこの記事では、 正義論とは何か? 正義論ではどのように﹁平等・公正な社会﹂を構想したのか? 正義論における﹁原初状態﹂﹁無知のヴェール﹂﹁二つの原理﹂とは何か? 正義論はどのように批判されたか? とい
-
左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は﹁大同団結﹂を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼︵オルタナレフト︶を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 お盆休みに大阪の実家に帰省したとき、70代の父親に参院選はどこに投票したのか、なんとなく聞いてみた。投票先を聞き出すのはあまりよくないのかもしれないが、いっときの勢いを失ったとはいえ、いまだ維新の会が強い大阪の情勢を少しでも知りたいと思ったからだった。普段から保守的な言動が多い父の口から出たのは、意外にも、革新系の候補者の名前だ
-
1