佐藤亜紀に関するnornsaffectioのブックマーク (7)
-
サンプリング調査にご協力ありがとう。今回の調査の成果は人間と社会に関する考察に益するところ実に大であった。その考察を何の役に立てるかは今のところ未定ではあるが、いずれ何らかの形で還元させていただくこともあるだろう。 まあ、すぐに還元できるだけの内容は還元しておくかな。 たとえば。反応を見ていて結構驚いたのは、まともな人の比率の高さであった。概ね半数が、こういう趣味嗜好は社会から受け入れられるものではない、潜るの上等、と考えていることを表明している。web上で意見を表明しない人々のことを考えれば、この比率は更に上がるだろう。文意の汲み方も概ね冷静で正確だ。こういう方がこっそりその種のゲームをやっていたとしても、他人があれこれ容喙すべきことではあるまい。その種の嗜好が何らかの形で現実の行動に反映することもなさそうだ。模範的な地下生活者、とでも言おうか。 更に四分の一ほどが、潜っていても暴かれる
-
何か女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲームが問題になってるらしいんだが。 前にも書いたけど、もう一遍書いておく。お前らは地下に潜るべきなんだよ。﹁ひでえゲーム﹂と話を振られたら﹁ほんとひでえよな、よくそんなのやるよ﹂と呆れてみせながら腹の探り合い、で、家に帰って部屋に籠ってからこっそりやるべきなんだよ。表ででかい声出すんじゃない。恥ずかしいな。何で人目に触れない世界でひっそりと繁栄できないんだ? どうしてまともな世の中に受け入れて貰いたがるんだ? そういうもんじゃないだろ、そもそも。 と言う訳で、官憲には徹底した弾圧を望む。連中、ちょっと揉んでやった方がいい。何かと言うと﹁表現の自由が﹂﹁表現の自由が﹂って黄色い声張り上げやがって。市場と法律に守られないとエロひとつできんのか。違法なのは恐いっ、無法地帯で怪しいぽん引きみたいな奴を探さないと買えないとかいうの恐いっ、時々中何にも入って
-
ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日本で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上に食えないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。20
-
東浩紀氏がいらん発言で御難を招いたらしい。弥次馬的に見物しながら、まあデリダな知識人というのはそんなものよのお、というくらいの感想しかない訳だが、個人的に最大の難なのは——。 民族の裸踊り派とお友達ってとこだろうな。 もうちょっと友達は選んだ方がいいと思うよ。どうしても切れないくらいにお友達だというなら、こっそり付き合えばいい。たもがみ君級の︵差別語につき削除︶とお友達してるってだけで猛烈に尊敬度が下がる。あの裸踊りに平気で付き合うのか、あんたは、って。それとも、所謂﹁スープを音を立てて啜る人﹂ともお友達してるって自慢したいだけなんだろうか。元ネタが誰の話だったのか忘れたが、確かこんな感じ。 ﹁私は民衆を愛しているし、自分もまた民衆の一人だと思っている。しかし彼らがスープを啜る音は我慢できない﹂ 民衆に対する愛なんだろうな、きっと。リスペクトすべきなのかもしれん。 p.s. 尤も、ポストモ
-
水村美苗はファザコンである、日本近代文学は水村美苗にとって理想の父なのだ、﹁お父様、美苗はお父様のいない世界になんか生きていたくありません﹂って、いったいあんた幾つだよ——と書こうとしていたら、田舎から連絡が来て、父が急逝していた。享年73歳であった。 昔は、万が一そういう事態が起った時、﹁おやじっ、何故死んだっ﹂って暴力焼香︵(c)織田信長︶をしたら顰蹙だろう、とか考えてにやにやしたりもしていたのだが、現実にXデイとして目の前にぶら下がってくると、そういう気持は失せるものだ。第一、叔父や、父と一緒に仕事をしてきた人たちが素早く駆け付け、あまりにも熱心に細心に万事を運んでくれるので、そういう馬鹿娘的悪行を働く隙はなく、結果的に、あんまり役には立たないが真面目な模範的遺族として過ごすことになった。週末の死だったので、土、日、月と三晩、遺体の側で夜明かしして、蝋燭と線香を換えていたのが葬儀の間
-
タモガミ君、というのは大層覚えやすい名前で喜ばしくはあるのだが、残念ながら大阪のハシモト君と同様に文明人でないのは残念なことだ。 ﹁古い歴史と立派な文化のある国﹂というものは、ほぼ例外なく、侵略国家であった経験を有する。そうでないのは侵略する程度の実力さえ持たなかった小国や低開発国だけだ。まあ辛うじて、ぎりぎり、侵略する側だった、ということに、国家と自分を同一視するという奇怪な習慣を持つ御仁は秘かな満足を噛みしめてしかるべきであろう。超下手糞だったことは自覚しなきゃいけないけどね。過ちに学ばないと上手くなれないよ。 一方、侵略はどこまで行っても侵略であり、諸国民の解放のお手伝いとか何とか理由を付けたところで、非難の対象となることは免れない。大体、たもがみ君が言っているような現地における貢献は植民地化の試みに付き物であって、だから無罪放免というのなら、フランスの北アフリカ支配もイギリスのイン
-
大阪の橋下君絡みで。 貧困だけならそれでもまだ何かしらの幸福は掴めるかもしれないが、叩き上げはいかんね。人間を決定的に駄目にする。或いは最初から駄目なのかもしれない。世間は立志伝と言うかも知れないが、私に言わせれば感受性の徹底した摩滅以外、こんな人生を可能にするものはないよ。結局出来てくるのは叩き上げに過剰適応したネオリベの犬だ。 正直な話、無言の渋い苦労人はいいけど、苦労自慢の苦労人の苦労の押し付けは堪忍だ。 誰もあんたみたいにはなりたくないし、あんたみたいな人生は送りたくもない訳。自分がネオリベ犬だからって他人までそうなるべきだってのはおかしな理屈でね。ネットのニュースとかで橋下君の話を見る度、こんな具合に摩滅せずに済んだなんて、私はなんて幸福な境遇に生まれたんだろう、と真剣に思うよ。ああ、ネオリベの犬なんかにならずに済んで本当によかった。 まあちなみに、昨日から何だか気分が荒んでるん
-
1