公共に関するnornsaffectioのブックマーク (4)
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そのベンチは﹁最悪いす﹂と呼ばれている。肘掛けが付き、一人分のスペースに仕切られ、傍らには荷物を置く台もある駅のベンチ。一見、座る人に配慮している。でも…。 ﹁最悪﹂と名付けたのは貧乏旅行を好む旅人たちだった。ろくに宿にも泊まらず、夜汽車で移動し、時に無人駅で寝る。1990年代の初め、そんな旅行者を閉め出すかのように、ベンチに肘掛けが付き始めた。これでは横になれない。 ﹁嫌な感じですよねえ﹂。各地を旅しながらミニコミ誌﹁野宿野郎﹂を編集している横浜出身の野宿愛好家・かとうちあきは言う。﹁でも、無理やり体をはめ込んで寝てる人もいますね。克服しているようで、ちょっとうれしい﹂。旅人は静かに闘っている。 ◇ 建築史家の五十嵐太郎・東北大大学院教授は、肘掛け付きベンチのような存在を﹁排除オブジェ﹂と捉え、背景にある﹁排除の思想﹂を読み解く。例えば、駅や公園にある奥行きの狭い腰掛けは、長時間
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東浩紀のカール・シュミット読解は誤読が多いとずっと思っていた。 例によって速記者が正しければだが、 http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1 カール・シュミット﹃政治的なものの概念﹄を何回か取り上げた 何を言っているか 政治は友と敵を分けることだ 友と敵を分けることが政治 誰かが自分の存在を抹殺するかもしれないから相手を抹殺 精神的な意味でも隠喩でもない ﹁政治は友と敵を分けることだ﹂とはシュミットは言っていない。 政治的なものは、特有の意味で、政治的な行動がすべてそこに帰着しうるような、それに固有の究極的な区別のなかに求められなければいけない。 (﹃政治的なものの概念﹄p14) カール・シュミットにとって﹁政治﹂とは、﹁道徳﹂や﹁経済﹂とははっきりと分けられなければいけない、﹁友﹂と﹁敵﹂の区別において見出されるものなのである。それは具体的・存在論的
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坂本哲志政務官を支持する声がネット世論で彷彿してますね。 まあ、ホンネをズバズバ言う政治家に共感が集まる。マスコミ報道に反発する。まあネット世論のいつものパターンが始まりました。 ただ支持する意見を見るとかなり不毛なことを言ってます。 ﹁本当に働こうとしている人が集まっているか疑問﹂という意見への共感。 はっきり言って、働く意欲がない人もいくらか混入しているでしょう。そのことの何が問題なのでしょう?ボランティアの人に、集まった人の労働意欲を調査しろと言いたいのでしょうか?そんな調査するのは果てしなく無駄な作業です。 社会福祉というのは、必ずそれに甘えたり、悪用する人が出てくるのは宿命です。ただそれと社会福祉不用論は別ものです。本当に必要な人をもっとも効率的に救済することがベターであり、わずかに必要でない人が混じっても、それを排除するために必要なコストがそれを下回るのであれば、感情的に納得が
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