![松浦大悟さんの「女湯に男性器のある人を入れないのは差別」論への疑問](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/98aeff791ad0ff1370fbc817fbde9e19e4764b58/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.buzzfeed.com%2Fbuzzfeed-static%2Fstatic%2F2019-05%2F13%2F2%2Fcampaign_images%2Fbuzzfeed-prod-web-05%2F--2-6393-1557729084-0_dblbig.jpg)
クィアとかはこれも含めた議論をしているけど、それ以前に当事者の運動すらないのに、「被抑圧下で権利主張を行うマイノリティ」に対して自分たち以外の権利獲得・保護まで一方的に背負わせるのは無理筋だと思います / “新春暴論2016――…” htn.to/QaUb3Aip
掲題は僕が今思いついた嘘の迷信なんですけど、古来から綿々と受け継がれております迷信なんてのはそもそも全部まるっと嘘っぱちでして何か「ネガティブな行為」を咎める理由を明確に言語化して擦り合わせて共有するのがめんどくせえので「それはネガティブな行為ですよ」という認識だけ共有できてりゃこっちとしては目標十分達成できてるわけでじゃあ濁しましょうそうしましょう、「他人を羨む」ということがどういうことなのか微に入り細を穿ち説明することはもちろん可能ではあるのですけれども、それをやって誰が幸せになるというのでしょう?少なくとも「他人を羨む」を控えましょうというのは僕と貴方が、よりなごやかに日々を過ごすために取りつけたい約束事であって、「他人を羨む」という行為が実際に及ぼす悪影響を突き詰めて箇条書きにしていくことが僕と貴方の間により一層のなごやかさを与えてくれるのだろうかいや与えてくれはしない。ならば細か
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