![知識0から、ちょっとUIデザインに詳しくなるnote|やました](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b8eb18fef1a8711ab2b5a27e54976bcf11c1c013/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F128340708%2Frectangle_large_type_2_4bc42a22f097d93644e96cd80e846b8b.jpeg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)
JR大阪駅に掲示された公共広告について最近ネット上で論争になっていると知った。広告といえば、多くの人が日常的に目にするものである一方で、わたしたち個人はそれをどのように受け止め解釈すれば良いのか、あまり明確な基準はない気がしている。ただ何となく描かれたもの自体について「好感が持てる」か「不快だと感じる」といった印象で語ることが多いのではないか。それ以上の言葉にするすべを、わたしたちは持ち合わせていないのかもしれない。それでも、多様な人々が目にするものを快不快という感覚のみで語るのが十分なのか、どこかひっかかる。 今回の出来事をきっかけに思い出したことがある。広告についてデンマークの学校に通う娘が授業を通じて学んだことだ。この記事では、デンマークの学校でどのように広告が扱われているのかを少し紹介し、そこにヒントがないかを考えてみたい。 CMを自分で作ってみる 3年前、娘がデンマークの学校の6
美術手帖の橋爪さん(直接の面識はないと思う)が、こんな投稿をされていたので、少し筆を取ってみることにした。 【緩募】 アートに興味のあるウェブディレクターやウェブデザイナーの方々、「日本の美術館サイトはどうすればもっと良くなるか」っていう話しません?(そして記事にしたい) — 橋爪勇介|美術手帖 (@hashizume_y) January 18, 2020 今の美術館を取り巻く状況と、ウェブ業界を取り巻く状況を重ね合わせて考えるとスマートな解決策がすぐには見いだせないのだが、ウェブ制作者サイドの人間として簡単に思うことを取りまとめてみたい。 もはや、何ができていないかよりも、なぜできないのかを論じるべき時期にきているインターネットが一般化して20年以上が経ち、2000年代初頭のように、インターネットってなに?という人はもはや駆逐されつつある。学芸員も司書も手許にはiPhoneがある。美術
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く