取材した内容と報告書の食い違いや報告書と背景知識との関連づけが読みたいですで、「数日後に分かることをスクープとして早く出すというやり方が報道に関するいろいろな問題の原因となっているのだと思うのだけど。」と書いたけど、この数日後に分かることをスクープにして早く出すというのは「エゴスクープ」と呼ばれているらしい。 エゴスクープはローゼン氏の造語だ。少し長くなるが、同氏はこう定義している。 エゴスクープの特徴は放っておいてもいずれ明らかになる点。何もしなくても発表されるニュースであるにもかかわらず、それを誰よりも早く報じようとしてしのぎを削っている記者がいる。読者の立場からすれば、誰が初報を放ったのかはどうでもいい話であり、こんなスクープの価値はゼロである。 でも、この種のスクープを放った記者に対して「こんなスクープは実質的に無意味だ」と言ったら猛反発されるだろう。(中略)エゴスクープを放って喜
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「そうだ、日記を書こう」 不意にそんなことを思いたったあの日から、干支が丸ごと一周まわった。 中学一年生の1月6日。新年早々でなければ、深く考えて結論に至ったわけでもない、そんな決意とも言えぬ思い付きをしてから12年と一ヶ月が過ぎた。 毎日ずっと欠かさずに書いてきたわけではない。がっつり空白が開いた期間もありながら、なんだかんだで今もカバンに日記帳代わりのノートを入れている。財布は忘れてもノートは持っているというみょうちくりんな状態になったほど「書く」という行為は自分にとってなければならない行為になった。 今回はそんな歪な突き抜け方をしてしまった管理人が12年間日記を書き続けて思った「日記を書くことで得られたこと」を徒然と書いていくだけの記事です。どうぞごゆるりと。 スポンサーリンク 日記を書くことで得られたことその1:自分の感情を自覚できるようになった まず、他人に言われる変化として、日
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