石川県能登半島地方を震源とする地震に対する自衛隊派遣を巡り、野党の一部から「逐次投入」「初動が遅い」といった批判が出ている。政府は部隊の増強を重ね、6日までに5400人態勢に拡充したが、2016年の熊本地震では発生から5日後に2万2000人を派遣した実績があるだけに、派遣規模に限れば見劣りの感もある。数字上で差が生じた背景には何があるのだろうか。 「今般の自衛隊の災害派遣について一部、逐次投入であるとか、初動が遅いといった指摘がある。私から少し詳しく説明をしたい」
タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。
石川県で最大震度7を観測した能登半島地震で、人命救助などのために派遣されている自衛隊員は、5日時点で約5000人となった。政府は、地理的条件や近隣の部隊配置などに違いがあり、単純比較できないとするが、2016年に震度7を記録した熊本地震の5分の1にとどまる。野党からは、政府の初動対応の遅れを批判する声も出ている。 防衛省は地震発生翌日の2日、陸海空自衛隊の指揮系統を一元化した統合任務部隊を1万人規模で編成した。ただ実際に現地で活動するのは2日の段階で約1000人、3日は約2000人、5日も約5000人にとどまっている。発災から5日目で約2万4000人が活動していた熊本地震と比べて規模が小さく見える。 立憲民主党の泉健太代表は5日、記者団に「自衛隊が逐次投入になっており、あまりに遅く小規模だ」と批判。別の立民幹部も「物資が届かず、被害の全容が明らかにならないのは、自衛隊員が足りない影響だ」と
1月1日に発生した能登半島地震。発生直後から熊本市から支援のため職員が派遣されています。11日、現地で活動した職員が厳しい状況を市長に報告しました。 報告を行ったのは、熊本市危機管理防災部の上村卓也さんと緒方達磨さんです。上村さんたちは、発災4日目に最大震度6強を観測した石川県珠洲市に入りました。現地では、被災地支援で全国各地から集まった応援職員が十分な睡眠を取れず疲弊している姿を目の当たりにしました。 災害マネジメント総括支援員の研修を受けていた上村さん。熊本地震や熊本豪雨など、これまでの災害対応の経験を生かして、応援職員が活動しやすいようアドバイスを行いました。具体的には、寝泊まりや食事をするためのキャンピングカーを提案。手配したキャンピングカーは1台で最大4人が寝泊まりでき、11日の時点で9台が現地に入り、今後あわせて30台ほどが活用されるということです。 しかし、移動手段や支援体制
熊本地震からまもなく4年が経つ。新型コロナウイルスの感染拡大で社会全体が大混乱している中、もしこのような地震が起きたらどうなるのか。むやみやたらと不安を煽るつもりはないが、現実的なシナリオとしてそろそろ本気で複合災害への備えを考えなくてはいけない。 熊本地震では、最大855カ所の避難所が開設され、避難者の数は一時、最大約18万4000人にも及んだ。1カ所あたりに換算すると約215人。すべてが体育館のように広い場所ではなく、公民館や集会所などもあり、さらに電気、ガス、水道が使えず、衛生管理が十分行き届かない場所もあった。 出典:平成29年版防災白書さて、もし今、地震が発生したらあなたは避難所に行くか、それとも自宅にとどまるか? 避難所は3密(密接、密集、密閉)に、不便、不満、不衛生の3不が加わった状態に。病院は新型コロナウイルスへの対応で手一杯で、さらにライフラインが止まり機能不全に陥る。
記事の最後の方に答え合わせがあります。ざっくり見たい方は最後だけ見ても大丈夫。 というツイートから始まるツイートツリーがありました。上記のツイートはその内容がツイッターの規約に違反したらしく削除済みですが、現在も文面をマイルドにした再投稿があります。さて、このツイートツリーの内容は長いので全てをここに貼れは出来ませんが内容を要約すると、 ・熊本地震時、在日朝鮮人と思われる人間が指定避難所には避難しなかった ・上記の在日朝鮮人避難所にやってきて支援物資を人数を偽って過大に要求した ・支援物資を届けに行くと教会には太極旗と民団の旗が掲げられていた ・教会周辺を聞いた市の職員がその場所を「朝鮮部落」だと言った ・支援物資を持ってきた自衛隊が帰る際に石を投げつけられた ・阿蘇市の職員が自殺した痛ましい事件は在日朝鮮人のせいだと言っている という様なものです。なお何故熊本地震時の「阿蘇市」と断言する
能登半島地震の発生から2週間が過ぎた石川県内では、まだ5万戸以上で断水が続く。奥能登地域ではほぼ全域で水が出ず、住民たちは風呂やトイレを我慢するなど不自由な生活を強いられ、健康状態の悪化も懸念される。浄水場や配水管の被害が大きく、完全復旧へのめどが立たない中、各市町は応急措置でしのぐなど試行錯誤を続けている。(福本英司、三宅駿平、山口登史、稲垣達成) 被災各地に設置された給水所では、容器に水をくみに訪れる住民たちの姿が途絶えることがない。「ぜいたくは言ってられないが、定期的に入浴したい」。輪島市立鳳至小学校の避難所に身を寄せる女性(40)がこぼした。自衛隊が風呂を用意したものの長蛇の列が続く。「一度も入れていない人もいる」と明かす。 同市大野町で倒壊を免れた自宅に住む50代女性は、雨水をためトイレを流す。それでも貯水量に限りがあり「健康に悪いと分かっているが、トイレをできるだけ使わないよう
モンベル、能登地震の被災者支援活動を開始 熊本地震でも貢献 2024年01月04日17時43分配信 熊本地震の被災地で、アウトドア用品のモンベルによる無料貸し出しでできた即席の「テント村」=2016年4月、熊本県南阿蘇村 アウトドア用品のモンベル(大阪市)は4日、能登半島地震の被災者支援活動を開始したと明らかにした。同日、大阪市の本社から支援物資とともに、社員数人が被災地へ出発。「モンベル小矢部店」(富山県)が被災の影響で臨時休業する中、「被災地は普段からお世話になっている地域。できる限りの支援活動をしたい」(広報)と意気込んでいる。 富士通、能登半島地震で義援金1600万円 「マッチング寄付」も実施 モンベルは2016年4月に発生した熊本地震の際も、土砂崩れなどで大きな被害を受けた同県南阿蘇村で、テントやマットを無料で貸し出すといった支援活動を展開した。 モンベルによると4日、車2台に寝
3年前の熊本地震で被災した漫画家が伝える 2016年4月14日午後9時26分に熊本県と大分県で震度7の地震が発生し死者267人、負傷者2804人は及びました(ウイキペディア)。「ひさいめし~熊本より3年 備えあれば憂いなし、ときどき猫」(エコーズ)は被災した漫画家のウオズミアミさんが、その時の経験を活かし、震災に対する備えを漫画化したものです。 避難生活を強いられたウオズミさんは多くの苦労を経験します。どこにいても生きている以上は食事は欠かせません。私たちは日頃は炊飯ジャーでご飯を炊いていますが、避難生活では炊飯ジャーなどありません。 「お米の炊き方」については、こう説明しています。鍋やフライパン(蓋つき)に米を入れ、水は鍋底から2.5センチから3センチまで入れます。強火にかけ、ふっとうしたら弱火で10程度炊く、そして最後に強火にして10秒ほど炊いて終了です。 まず「水」をどう確保するか
2016年の熊本地震では熊本から阿蘇を経由して大分を結ぶ国道57号線が崩落し、かなりの不便を強いられた。とはいえ、熊本から阿蘇へはミルクロード経由で行くことは出来たので阿蘇の孤立は避けられた。また、阿蘇から大分へ抜ける道は通常通り通行することが可能であった。震災から数日後には阿蘇から近い大分県内のホームセンターでは災害対策用品が品切れになっていた。大分県内のガソリンスタンドで給油する熊本ナンバーの車も目にした。震災後の阿蘇市内では自衛隊が活動していた。ミルクロードわきでも自衛隊が小規模ながら野営をしていた。熊本地震はいわゆる前震が4月14日(木)に起きた。前震とはいえ余震もひどく、避難所に行ったものの居続けることは無理と悟り、夜中の3時頃には熊本を経った。本震は16日の深夜1時頃に発生し、その時は既に熊本にいなかった。阿蘇大橋が落ちたとの情報が入ったのは覚えている。その後は職場の連絡網が回
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
誰しもが気軽に情報発信ができるインターネットやSNS。その反面、簡単に知らない相手と繋がることができるがゆえに、相手への配慮にかける発言や読むに耐えない言葉が飛び交っているのも現実だ。新型コロナの影響も続く中、一方的な攻撃に悩み、孤立を深める人も多い。 1990年代にアイドルとしてデビュー、映画『フリーズ・ミー』ドラマ『ナースのお仕事』などに出演し、俳優・タレントとして活躍する井上晴美さんも、その怖さを経験した一人。子育てをキッカケに、2011 年ふるさと・熊本へ家族で移り住み、2016年4月の熊本地震で被災した経験を、ブログを通して発信する中、数多くの誹謗中傷を受けた。 それから6年、井上さんに、当時の想い、そして今を聞いた。 「今でも乗り越えられていません」。ダメージに耐えられず、SNSを完全に遮断した過去 熊本地震発災時、井上さんは家族と共に阿蘇郡西原村で暮らしていた。熊本の中でも被
今回の記録的な豪雨で、熊本県内の道路や橋など土木施設の被害額は、これまでに判明しただけで1300億円を超えることが分かり、県は「熊本地震に匹敵する」としています。 それによりますと今回の記録的な豪雨で、県内では道路や橋など公共的な土木施設の被害が相次ぎ、県が被害額を調べた結果、これまでに判明しただけで1352億円に上っています。 地域別に見ますと、八代市や人吉市、それに球磨村などを管轄する県南広域本部管内が1221億円と、およそ90%を占めています。 さらに、荒尾市や阿蘇市などを管轄する県北広域本部管内が97億円、天草市などを管轄する天草広域本部管内が28億円、熊本市などを管轄する県央広域本部管内が6億円となっています。 4年前の熊本地震では土木施設の被害額は、発生からおよそ1か月後の時点で1379億円でした。 今回は2週間余りで1300億円を超え、県は今後の調査によっては、さらに増える可
石川県能登半島地方を震源とする地震に対する自衛隊派遣を巡り、野党の一部から「逐次投入」「初動が遅い」といった批判が出ている。政府は部隊の増強を重ね、6日までに5400人態勢に拡充したが、2016年の熊本地震では発生から5日後に2万2000人を派遣した実績があるだけに、派遣規模に限れば見劣りの感もある。数字上で差が生じた背景には何があるのだろうか。 【写真まとめ】損壊した住宅で救助活動にあたる自衛隊員 「今般の自衛隊の災害派遣について一部、逐次投入であるとか、初動が遅いといった指摘がある。私から少し詳しく説明をしたい」 首相官邸で6日に開かれた政府の非常災害対策本部会議に出席後、記者団の取材に応じた木原稔防衛相が問わず語りに説明を始めたのは、地震発生後からの自衛隊の対応だった。 自衛隊は、地震発生翌日の2日までに2000人態勢を構築し、ヘリによる人員や物資の輸送、救助活動を実施。3日は460
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
私の30年間の人生において、最も衝撃的で深く考えさせられた出来事は、2016年4月14日に発生した熊本地震かもしれません。 もちろん、被害の大きさで言えば、2011年の東日本大震災の方が大きいです。ただ、当時の私はまだ大学生であり、なおかつその時点ではまだ訪れたことが無い東北で起きた災害ですから、ピンと来ない部分もあったのです(添乗員になって東北の被災地を訪れてやっとその被害の大きさを実感することができたのです)。 東日本大震災から5年後に起きた熊本地震は、私にとっても非常にショックな出来事でした。その当時、私は添乗員になって3年が経とうとしていました。熊本県は魅力溢れる場所ですから、ツアーで何度となく訪れた場所でした。熊本城はもちろん、阿蘇地方や阿蘇神社、そこへ行くのに渡った阿蘇大橋。2016年4月14日までは、そこには魅力たっぷりの観光県、熊本の姿が確かにあったのです。 出典:阿蘇神社
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
こんにちは。 2度目の震度7を観測した熊本地震の本震から今日で5年になります。熊本地震では災害関連死を含めて県内で273名の方の命が失われました。 この1年間に、大きな被害があった阿蘇地域の交通アクセスは大きく改善して、県民の心のよりどころでもある熊本城の天守閣も復旧工事が終わり、4月26日から内部が一般公開されます。 一方で今でも仮設団地で仮住まいをされている被災者もいて、復興へのみちのりは続いています。 今日は、熊本地震からの5年間を振り返ってみました。災害はいつどこで発生するか分かりませんので、何かみなさんの参考になれば幸いです。 熊本地震を経験して 「熊本地震からの5年」の受け止め方 SNSでは 熊本地震の特徴 災害には悲観的に準備し楽観的に対応せよ 復興のシンボル熊本城 まとめ 熊本地震を経験して 熊本地震を経験して、たくさんのことに気づきました。私が感じたのは次のようなことです
1月1日に発生した能登半島地震。発生直後から熊本市から支援のため職員が派遣されています。11日、現地で活動した職員が厳しい状況を市長に報告しました。 報告を行ったのは、熊本市危機管理防災部の上村卓也さんと緒方達磨さんです。上村さんたちは、発災4日目に最大震度6強を観測した石川県珠洲市に入りました。現地では、被災地支援で全国各地から集まった応援職員が十分な睡眠を取れず疲弊している姿を目の当たりにしました。 災害マネジメント総括支援員の研修を受けていた上村さん。熊本地震や熊本豪雨など、これまでの災害対応の経験を生かして、応援職員が活動しやすいようアドバイスを行いました。具体的には、寝泊まりや食事をするためのキャンピングカーを提案。手配したキャンピングカーは1台で最大4人が寝泊まりでき、11日の時点で9台が現地に入り、今後あわせて30台ほどが活用されるということです。
皆様、こんにちは。 ライフサポート永和 広報担当:kuuでございます。 今回は業務レポートでもvtube動画連動記事でもなく、当事業所があります ここ熊本で今から5年前…震度7を観測する巨大地震に2度も襲われ 沢山の方々が被災し 中には命を落とされた方もいらっしゃいました。 犠牲となられた多くの方々へ深くご冥福をお祈り申し上げます。 今回は『被災した経験から学んだこと~防災意識、避難時の持ち物や注意点、家族を守るためには⁉~』をテーマに当時の記憶を辿りつつ 詳細に綴っていこうと思います。 4月14日(木)自宅にて:前震発生 4月16日(土)実家にて:本震発生 避難時の持ち物 避難所での過ごし方 家族を守る為に 4月14日(木)自宅にて:前震発生 4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11 km、気象庁マグニチュード (Mj) 6.5、モーメントマグニチュード (Mw)
最大震度7を2度観測した2016年4月の熊本地震から5年になるのを前に、毎日新聞が災害公営住宅(復興住宅)で暮らす被災者にアンケートしたところ、回答を寄せた128人の48%に当たる62人が「被災前より人付き合いが減った」と答えた。また、地震後、市町村などによる「見守り」を受けていた102人のうち84人(82%)が、復興住宅に入居後、見守りが「減った」「なくなった」と回答。住んでいた場所で住宅再建ができず、地域コミュニティーを離れて孤独を深める被災者へのケアが課題として浮かび上がった。 4月14日の前震と16日の本震でいずれも最大震度7の揺れに見舞われ、大きな被害を受けた熊本県益城(ましき)町。町内に19ある復興住宅の一つ、馬水(まみず)団地で、認知症の夫(81)と暮らす女性(77)はアンケートに「相談できる人がいない」と答えた。 地震で町内の別の地区にあった一戸建ての借家が全壊。4年近く過
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く