(藤原書店・2750円) 怒りを何に向けるべきか 問題提起の書である。 20世紀最後の4半世紀、フランスは2人の顕著な思想家を世界に送り出した。ブルデューとトッドである。前者は社会学者、後者は歴史人口学者。 フランスは20世紀中葉にもサルトルとレヴィ=ストロースを送り出して、実存主義と構造主義を世界に蔓延(まんえん)させた。ブルデューとトッドは、先輩のサルトル、レヴィ=ストロースには及ばないと思われがちだが、そうではない。トッドが家族制度の分析を通してソ連崩壊を予見したことは有名だが、ブルデューの代表作『ディスタンクシオン』、直訳すれば「差別」は、生きられた階級の生々しい体験を分析して世界的に注目された。たとえばアメリカで進められていた大統領選挙にしてもその分析対象に入る。 投票集計の状況は不正選挙を疑わせなくもないが、アメリカの主要日刊紙は認めない。選挙は民主主義の根幹。かりに大勢に影響
ブルデュー研究 ハビトゥス概念について、「有名だから自分は当然のごとく知っている。」こう思い込んでいる人は、多いはずです。しかし、社会学者に限定すると、この概念を分かっている人は日本にいくらもいないと思います。実際には、ほとんど何も分かってないのに知ったかぶる大学教員が多いので、学生の方は気をつけましょう。(ウィキペディアも全く役に立ちません、念のため。)たとえば、宮島喬氏などは、その典型例です。ブルデューの社会学を「文化的再生産論」で括るというとんでもない曲解をし、社会学辞典まで作ってブルデューの諸概念についてでたらめなことを書いています。 「文化的再生産論者ブルデュー」という虚像が広められたのは日本とイギリスにおいてですが、イギリスでは世紀が変わってから、そういう虚像を真に受ける社会学者は皆無になりました。でも、日本では未だに『社会学』(長谷川・藤村・町村・浜/共著)などの代表的な社会
2005年3月31日付で『日仏社会学叢書』第3巻(恒星社厚生閣)として出版されました。 斉藤悦則・荻野昌弘編『ブルデュー社会学への挑戦 』というタイトルがつきました。 以下のテキストは pp.87~109 所収。 ブルデューが没した年(二〇〇二年)の秋、日仏社会学会の大会は「ブルデュー追悼コロシアム」と題するシンポジウムを催した(注1)。晩年のブルデューの活動を追ったドキュメンタリー映画「社会学は格闘技だ」(注2)のビデオを流しながら、そのタイトルにふさわしく、ブルデューに対する肯定的な立場と否定的な立場での議論を戦わせようという企画である。私は「否定的な立場」でこれに参加した。いわば「かませ犬」の役回りを割り当てられた。 社会学の「学界」のほとんど埒外に属する私にとって、これは気軽に引き受けられる立場であった。準備作業そのものにも負担感はなかった。ブルデュー好きの人々にとっては不愉快なこ
ブルデュー 闘う知識人 (講談社選書メチエ) 作者: 加藤晴久出版社/メーカー: 講談社発売日: 2015/09/11メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログを見る 講談社選書メチエの加藤晴久『ブルデュー 闘う知識人』のレビューです。 ブルデュー社会学の解説というより、ブルデューとはどういうひとであったかが書かれています 「人間ブルデュー」「知識人ブルデュー」「同時代知識人に対する評価」「社会学者ブルデュー」「ブルデュー社会学の理論的骨格」「若い読者のために」の6章構成です。 ぼくが読みたかったのはp.183からp.253の第5章「ブルデュー社会学の理論的骨格」終章「若い読者のために」だけだったので、ちょっと内容的に物足りなかった感じがしました。ぼくは学者がどういうひとだったのかにはまったく興味がないので。逆に言えば、ブルデュー信者には最初の4章は面白い内容だったのかもしれま
きっかけは、在仏の社会学研究者 磯直樹 id:naokimed 氏によるこのエントリである。 エスノメソドロジー (文献メモ) - 社会学徒の研究(?)日誌 (2010年10月16日) 社会学史が専門だと自称していますが、重要とされる社会学の業績の中でも、まともに読んだことのないものもあります。僕にとってその最たるものが、ガーフィンケルとエスノメソドロジーの諸研究です。どうしてこの分野を不勉強かというと、自分の研究環境において今まで一度も学ぶ必要性を感じたことがないからなのと、何年か前に「会話分析」の勉強をしてみたのですが、それがばかばかしくて(一部の)エスノメソドロジーに悪い印象を持つようになったからです。エスノメソドロジーの良質な部分は質的調査の方法に組み込まれているはずなので、あえて「エスノメソドロジー」の看板を掲げる意義があるのでしょうか。 フランスでは、エスノメソドロジーの影響は
(藤原書店・2940円) ◇未知に挑んだ社会学者の「自伝ならざる自伝」 二〇〇二年に死去した社会学者ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」理論はいまや社会科学の大きな遺産となりつつあるが、本書は、死の床にあったブルデューが、研究の魔に取りつかれた「自分」を最後の分析対象に選んで、自らの理論や分析方法を駆使してその思想の形成過程を追尾しようと試みた「自伝にあらざる自伝」である。 それを端的に示すのが冒頭近くに置かれた次の言葉である。「わたしは、哲学があたりを睥睨(へいげい)していたその時期、学校教育のヒエラルキーで頂点を占めていたエコル・ノルマル・スュペリユールの哲学専攻の学生だった。このことを言えば実は、大学界においてその後わたしが辿(たど)った軌跡を説明し、理解してもらうために必要なことは言ったことになると思う」。すなわち、知的世界の覇王としてサルトルが君臨していた時代に、超エリー
ブルデュー研究 先日ブルデューのハビトゥス概念について書いたので、今度は資本概念について書いてみます。ブルデューの資本概念ですが、日本で論じられてきたものは(おそらく)ほとんどか全てが間違っているというのが僕の見解です。(念のために言っておくと、ブルデューの弟子筋の研究者とブルデューの基礎概念に関する理解を共有しているのは、日本語を使って研究している者の中では僕だけかもしれません。日本の長老たちは、どうしてもこの資本概念が理解できないようです。) なぜ間違っているかというと、大事な前提の一つが常に抜けているからです。それとは、ブルデューの資本概念と界概念とは、1971年以降セットで考えられるようになったということです。ブルデューはのちに、「資本は界なしには存在することも機能することもできない」とまで言うようになります(『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』)。逆に、1970年以前のブルデュ
社会学, ブルデュー研究 ハビトゥス概念と資本概念については以前のエントリで書いたので(リンクをクリックして下さい)、今日は界概念について書ます。 ハビトゥス、資本、界の3概念を、僕はブルデュー社会学の3つの基礎概念と呼んでいます。この見方をしているのは日本ではほとんど僕だけかもしれませんが、フランスのブルデュー派の研究者の間では常識となっています。「そんなことわざわざ言うまでもない」という雰囲気で、ブルデューの社会学を応用したり批判したりする際にも、3つの基礎概念を軸に彼の社会学を考えるのがブルデュー派では一般的となっています。(もちろん、こうした前提に安住していてはいけないのですが、まずはこの見方を踏まえてからブルデュー社会学の批判的受容を行っていくべきです。) それでは、まずは僕が『ソシオロジ』誌に発表した論文の引用から。 「界」とはフランス語でchamp、英語でfieldに相当する
科学の科学―コレージュ・ド・フランス最終講義 科学の科学―コレージュ・ド・...の他のレビューをみる» 評価: ブルデュー 藤原書店 ¥ 3,780 (2010-10) ブルデューの科学社会学講義録であり、生前に出版された最後の著書。本書は主に3つの章からなり、第1章では、マートンの科学社会学、クーンの科学革命論、ストロング・プログラム、ラトゥールの科学論、の4つが批判される。第2章では、ブルデュー自身の界、ハビトゥス、性向、といった概念を使った科学の記述がなされ、第3章では、社会科学(者)にとっての自己分析の重要性が説かれ、ブルデュー自身の自己分析が開陳される。2章はいつもの議論が繰り返されているだけであるし、特に新しさを感じなかったので、1章と3章を中心に紹介する。マートンの科学社会学は、科学界の共同体的側面のみを強調し、その内部での対立、闘争を無視しているため、批判されている。いっぽ
ブルデューは、社会における階級的格差がいかに形成され、その構造が、いかに社会において正当化されるかという事に注目する。特に彼は教育という観点に注目し分析を行った。 彼は、フランスにおいて、平等な教育機会が保障されているにも関わらず、大学以上の高等教育機関への進学者において、中産階級の子供たちと労働者階級の子供たちとの間に明らかな階級間格差が生じている現実を指摘する。 そして彼はこの原因を文化資本の格差にあると指摘する。その例として文化資本の1つである言語資本を挙げる。家族によって用いられる言語資本は家族のおかれた階級的地位によって異なっており、中産階級の言語は抽象的、形式主義、婉曲語法を特徴としているのに対して、労働者階級の言語は個別特殊的、具体直接的な特徴を持っているという。 ところが、学校文化の中では中産階級の言語体系が一般的なものとして受け入れられている現実がある。そのような言語体系
つい先日、TwitterではNHK出版の「100分de名著」シリーズ、岸政彦『ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年12月』(以下、著者の名前を取って「岸本」と呼ぶ)が話題になっていた。 NHK 100分 de 名著 ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年 12月 [雑誌] (NHKテキスト) 発売日: 2020/11/25 メディア: Kindle版 僕は『ディスタンクシオン』自体も、その解説書も未読で、文化資本という概念や木の皮の写真の話が出てくることといった、どこかで聞きかじったアトランダムな知識しかもっていなかったが、興味がなかったわけではない。 一応美学をやっているし、この本は趣味を扱っているわけで、いずれはちゃんと知っておくべきだという認識があったので、これを機に岸本で入門してみることにした。 そして、岸本を読んで知ったのだが、『ディスタンクシオン』は「千ページほど
コントやデュルケームが活躍し,いわば社会学の故国であるフランスでは,今日でも多くの「社会学者」が活躍している。ただし,アメリカの社会学が個別の専門科学として展開しているのに対して,フランス社会学は,前回の授業で述べたドイツと同様,哲学や文学,芸術学,言語学,歴史学などなど,多くの人文科学と相互浸透している。学問の専門化が進むと,社会学とは,社会学関係の学会に所属し,自己紹介に「専攻:社会学」と書く人(つまり,自分を社会学者とみなし,まわりもその人を社会学者とみなしている人)がリードする学問になる。しかし,これから紹介する人たちには「自分は社会学者ではない」という人が少なくない。現代のフランス社会学は,ふつう社会学とは呼ばない多くの思想や人文科学の影響下で展開しているのである。その主なものをあげておく。 戦後のフランスでは,主体(今日の授業でいう「主体」とは自由意志にもとづいて自覚的に行為す
ブルデュー資本概念における「秘密」と「隠蔽」 ―寡占協調モデルと搾取モデル― ブルデューの資本概念における「秘密/隠蔽」の重要性はすでに多くの研究者によって、指摘されている(Harker et al. 1990, Calhoun et al. 1993)。ブルデューの資本概念の主要な特徴として、(1)通常、資本とみなされない象徴資本を、 資本としての性格が隠蔽された「資本」だとすること(2)資本としての性格が隠蔽された象徴資本と、資本としての性格のあからさまな経済資本との対立を、社会階層構造の基本軸の一つとして認めたこと、の二点があげられる(図1)。この双方において、「秘密/隠蔽」は積極的な意義を果たしているのだ。 このような重要性をもつ、象徴資本の「隠蔽されている」という性格は、しかし、これまで上層階級による搾取というマルクス主義的な文脈でのみ理解されてきた(ibid.)。ブルデューの理
2002年1月23日、ピエール・ブルデューが亡くなった。私はブルデューの良い読者であったことがないので、ここで彼の生涯と著作を振り返り、二十世紀後半のフランスにおいて最も多作な社会学者に追悼の意を表する資格はない。文学や哲学に携わる私にとって、書かれたもの、あるいは書くことの持つ射程を社会学的な分業の問題に縮減してしまうかのようなブルデューの仕事は刺激的なものであったことはなかったし、学校を政治的・社会的な差別の再生産の装置としてみる彼の数多の著作についても、それがいかにも「まっとうな」批判であることを認めながらも、国家が学校をテクノクラートの養成機関として抱え込み、厳然と存在する「階級」の保護育成に励んでいるフランスでは余りにも常識的な見解にすぎないのではないかという感をぬぐえなかった。さらに、90年代後半の社会運動への積極的なアンガージュマンについても、明からさまにサルトルに言及を求め
博士論文一覧 博士論文審査要旨論文題目:ピエール・ブルデューにおける社会学的思考の生成 著者:磯 直樹 (ISO, Naoki) 論文審査委員:平子 友長、町村 敬志、中野 知律、多田 治→論文要旨へ I 本論文の構成 序論 第1章 ブルデューのアルジェリア経験と経験的研究への志向 1-1 ブルデューとアルジェリア戦争 1-2 アルジェリア戦争とフランス知識人 1-3 フィールドからの問い 第2章 60年代のブルデューにおける社会調査法の受容と実証主義批判 2-1 哲学と社会学のあいだ 2-2 ブルデューと量的調査 2-3 ブルデューと質的調査 第3章 基礎概念の萌芽 3-1 ハビトゥス概念の初期構想 3-2 初期の資本概念と界概念―66年の2つの論文から 3-3 『再生産』における理論と調査の統合の試み 第4章 70年代における3つの基礎概念の形成と認識論 4-1 『プラティク理論の素描
ピエール・ブルデュー―超領域の人間学ピエール・ブルデュー―超領域の人間学作者: ピエールブルデュー,加藤晴久出版社/メーカー: 藤原書店発売日: 1990/11メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る ピエール・ブルデュー―1930‐2002ピエール・ブルデュー―1930‐2002作者: ピエールブルデュー,加藤晴久,Pierre Bourdieu出版社/メーカー: 藤原書店発売日: 2002/06メディア: 単行本クリック: 1回この商品を含むブログ (17件) を見る ディスクールの政治学―フーコー、ブルデュー、イリイチを読む (ディスクール叢書)ディスクールの政治学―フーコー、ブルデュー、イリイチを読む (ディスクール叢書)作者: 山本哲士出版社/メーカー: 新曜社発売日: 1987/12メディア: 単行本この商品を含むブログを見る ピエ
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