「小論文」関連の検索でここにやって来た閲覧者さんへ。 どうも見当の違うエントリにたどり着いちゃうヒトもそれなりにいらっしゃるみたい。でも、そういうときにはちょろっとサイドメニューくらい確認してもバチは当たらないと思うぞ。そうすると「小論文の道具箱」カテゴリー ってのがあるのに気づいたり出来る。 ブログの記事だから、入門者が順を追って読んでもすぐに役立つ教材になっているかどうかは、はっきりいうと怪しい。まとまった教材としての学習手順や体系性を意識せず、そのときどきの思いつきや巡り合わせで書かれているからだ。けれど、学校・塾などで扱われることの多い標準的な問題から少し離れたタイプの問題も扱っているので、普段の学習と並行して読んでみる分には何かの足しになるんじゃないかとは思う。 追々、以前のブログや「小論文の道具箱」*1の記事も手を入れつつ復旧しようかと考えてもいるのだけれど、いつになるやらわか
この件についてのはてブコメントの酷さの裏付けみたいなツイートを見かけた。 バカな発言をたしなめた相手に被害者ヅラをされた場合、そのまま黙っていると加害者認定されてしまう。 ここは、「違うぞ」と強く言い張っておかねばならない。 私が加害をしているのではない。 君が自分のバカな発言の報いを受けているという、それだけの話だ。 そこのところを間違えてはいけない。— 小田嶋隆 (@tako_ashi) December 26, 2020 ちょっとこれはうげーってなるわ…。 多分だけど、今でもはてブコメントで4℃の彼女を叩いてる人、完全にこの意識なんだろうな。 つまり、自分のツイートの加害性を完全に否認してる。はてブ民はそういうとこだぞほんまに。 小田嶋隆さん自体は結構好きなんですが ブログのアーカイブを見てもらえればわかっていただけると思うが、私は小田嶋隆さんの文章がかなり好きな方である。 今まで何
アマゾンレビューは書かないことにしているのですが、まあときには例外があってもいいでしょう。他で書いたものをそのまま転載。 献本御礼 医療系のドラマや映画、小説、漫画には基本的にアクセスしません。「本当はこうじゃない」みたいな監修目線からではなく(フィクションはべつにホラでもよい派です)、ぼくはフリータイムくらいは医療から離れていたいからです(医療嫌いなのかもしれません)。 同様の理由で、医者の書くエッセイとかも敬遠することが多いです。とくにヒューメインな内容は読んでるこっちが恥ずかしくなるので、ノーサンキューになりやすい。ぼくのなかでほぼ唯一の例外が徳永進先生のエッセイかな。 で、唯一じゃない例外がここにひとつ。高山義浩先生の新著です。 本書は非常に奇妙な構造をしていて、高山先生知らない人はかなり面食らうでしょう。でも、コアなファンが多いので、そういう人にはすんなり読める本でしょう。まあ、
大阪市を廃止することの可否を問う住民投票が近づいてきた。議論のほとんどが「コスト」をめぐっている。しかし、行政システムの改変に際して経済合理性だけを基準にしてものを決めるのはとても危険なことである。それについて考察した部分を『日本習合論』から引用する。 今の日本と、僕が育った頃の日本を比較して、最も違ったのは、ものごとの価値や、あるいは言動の適否を考量するときの時間の長さだと思います。ある行き方を選択をした場合、それが適切だったかどうかを「いつ」の時点で判断できるか。その適否判断までのタイムラグは歴史的環境によってずいぶん変化します。でも、これほど時間意識が伸縮するものだと知りませんでした。 今はものごとの理非や適否を判定するまでのタイムラグが非常に短くなっています。せいぜい一年あるいは四半期、場合によってはもっと短い。そこで決着がついてしまう。ある政策決定を下した場合に、それが適切だった
事件が社会を映す鏡であるならば、あの凄惨(せいさん)な事件から考えるべきことは何なのだろう。安倍晋三元首相が凶弾に倒れてから1週間がたち、いわば情報の洪水によって伝わってくる話も多いが、私の頭の中の霧が晴れることはない。現代社会を自在に読み解いてきた思想家、内田樹さん(71)が語る言葉を聞きたくなった。 神戸市で武道と哲学のための塾「凱風館」を主宰している内田さんとは、東京にある別宅でお会いした。内田さん、ちょっと寝不足気味の様子ながら「暴力が事件化する時は、言論の力が弱っている時だと思うんです」と、いきなり鋭く切り込んできた。銃撃事件の構図や背景が次第に明らかになっていく中で、内田さんは情報を集め、考え続けているのだという。
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― アメリカのバイデン大統領と中国の習近平国家主席がそれぞれ新体制をスタートさせ、米中覇権争いは新たな局面に突入しました。 内田 世界のこれからについては三つのシナリオがあります。「アメリカ一人勝ち」と「米中二極論」と「多極化・カオス化」の三つです。ここ数年は「米中二国が覇権を競う」という二極論が支配的でしたけれど、僕は「多極化しつつ、米中の競争ではアメリカ優位」というシナリオが現実的ではないかと思っています。アメリカが抱えている最大の問題は「国民の分断」ですけれど、これについてはアメリカに過去にいくども分断を克服した「成功体験」がある。この点で言えば、危機に対する「レジリエンス」(復元力)は中国よりアメリカのほうが強いように見えます。 アメリカは建国以来「自由」と「平等」という二つの統治原理の葛藤に苦しんできました。自由と平等はもともと相性が悪い。「水と油」の関係です。個人が最大限の自由
朝日新聞出版が運営するニュースサイト。 from AERAdot. 『週刊朝日』や『AERA』を発行する朝日新聞出版のwebサイト「AERAdot.」とのコラボレーション連載。 バックナンバー一覧 コロナ・パンデミックは、「医療は商品である」という原理の無効性を可視化させた。そう語るのは、思想家の内田樹さんと医師の岩田健太郎さんだ。二人の対談が収められた『コロナと生きる』(朝日新書)から、なぜアメリカのパンデミックは収束しないのか、その背景について紹介する。 * * * コロナが晒した新自由主義の限界 内田:医療費の増加は、ここ20年ぐらい日本が抱える財政上の最大の問題とされてきました。国家財政を逼迫させているのは医療費である、だから医療費削減を達成することが焦眉の課題なんだと、政府も経済評論家も口を揃えて言い続けてきた。その結果、病床数を減らし、保健所を減らし、医薬品や医療器材の備蓄
少し前にネットで学生運動の話をよく見かけたので、自分が今まで読んだり聞いたりした話と合わせて雑談したい。 この時代の学生運動周囲の話を見ていくと、そのセクトや大学によってだいぶ雰囲気が違う。(考え方が違うので当たり前だが) 例えば立花隆の「革マル対中核」を読むと、革共同から分裂したこの二党派の大きな違いは、労働運動へのスタンス、どれくらい力を入れていたかのようだ。 革マル派の主目標は、なによりも革命をになうことができるプロレタリアートの前衛党の組織作りにある。学生運動については、それ独自の革命的の機能は認めず、『プロレタリアートによる学生の獲得』がスローガンである。(略) いってみれば、革マル派の組織の本隊は、あくまで労働者の組織であって、学生組織はそれに従属するものでしかない。(略) すでに有名な勤労、国労に始まって、全連、自治労、教労といったところで、革マル派の組織は大きな根を張ってい
ある媒体から「関東大震災と朝鮮人虐殺」についての特集を組むのでインタビューをしたいという依頼があった。私は近代史の専門家ではないので、この出来事については通り一遍の知識しかない。けれども、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に歴代都知事が送ってきた追悼文を現職の小池百合子知事が送付を拒絶していることは歴史に対する態度として間違っているということは申し上げた。 知事は追悼文を送らない理由を「何が明白な歴史的事実か確定していないから」としている。しかし、私たちがタイムマシンで過去に遡ることができない以上、「明白な歴史的事実」を確定することは権利上誰にもできない。 その場で現にそれを目撃したという人がいても、「話を作っているのではないか」「記憶違いではないか」「それとは違う証言が他にある」というような「反証」を突きつければ「明白な歴史的事実」の確定を妨げることは可能である。 日中戦争中の南京での市民虐殺
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ミネアポリスから始まった人種差別と警察暴力への抗議運動Black Lives Matter(「黒人の命を軽んじるな」)は全米に広がり、収束への道筋が見えない。震源地であったミネアポリスではついに警察署が解体されて、新たな公安組織が再建されることになった。それほどまでに市民の警察暴力に対する怒りと不信は根深い。 本来なら治安回復の責任を負うべきトランプ大統領が騒乱の火に油を注いだ。抗議者たちに対話的な姿勢を示すどころか、デモの背後にはテロ組織があるという不確かな情報をSNSで発信して、FBIから「そんな事実はない」と否定され、さらにデモ隊鎮圧のために連邦軍の投入も辞さずという強硬姿勢を示したことについては、米軍の元高官たちが次々と異議を申し立てた。マティス前国防長官は大統領を「私が知る限り、国民を統合するより分断しようとする最初の大統領だ」と批判し、パウエル元国務長官も「大統領は憲法を逸脱し
『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を見てきた。1969年の東大駒場の900番講堂で行われた三島由紀夫と全共闘の討論会に関するドキュメンタリー映画である。 www.youtube.com TBSに残っていた記録映像をもとに再構成したものだということで、それに解説などがついている。全体的にハイパーリンク映画のような作りで、討論中によくわからない言葉が出てくると、ウィキペディアの内部リンクをクリックするみたいな感じで、解説映像と一緒に東出昌大がナレーションで説明してくれる。69年に共有されていたらしい時事ネタなどが全くわからないのでこの注は絶対必要である。さらに、とくに時事問題などが絡んでいなくても、69年のコンテクストがないとほとんどわからないような議論がわりとあり、これについては平野啓一郎などが三島や全共闘の学生が何の話をしているのかについてまとめてくれる。 ただ、ハイパーリンク解
今から10年前にラジオ収録のために、イデオロギーと生活感覚の癒合と乖離について平川君と彼の久が原の家でおしゃべりをしたことがあった。その時に備忘のために記した文章が『武道論』に再録された。少し短くしたものを「予告編」としてここにあげておく。 空理空論のイデオロギーは危険なものである。だから、それを制御するものとして、身体があり、日常の生活がある。 「百日の説教、屁一つ」と言う。いくら大義名分を掲げて偉そうなことを言っても、それを語っている当の本人の身体が語っている言葉を裏打ちしていないと言葉は力を失う。どれほど立派な口説も「ここがロドスだ、ここで跳べ」という地場からの挑発には対抗できない。「それだけ言うなら、ここでやってみせて見せろ」という言葉が空理空論には一番強い。 身体実感のある言葉を語っているかどうか、それは久しく知的言説に対する日本の庶人の身にしみた批評的規矩であった。平川くんも、
『街場の成熟論』が話題を呼ぶ内田樹さんと、『一億三千万人のための「歎異抄」』を上梓した高橋源一郎さん。長年の盟友である二人が「成熟」をテーマに縦横無尽に語り合った。 ◆◆◆ 高橋 内田さんに会うのは数年ぶりですが、以前今や休刊になった『SIGHT』という雑誌で対談シリーズをずっと一緒にやっていました。そのときにはだいたい、まず僕から話して内田さんがレシーブする習慣でしたので、今日もそのスタイルでいきたいと思います。 内田 はい、よろしくお願いします。 高橋 僕も最近、『一億三千万人のための「歎異抄」』という本を出しました。「一億三千万人」という冠がついた本はこれで3冊目ですが、前の本の『論語』に続いて、親鸞の『歎異抄』を訳したんですね。本が出た後、そういえば、どちらも〈先生と弟子の話〉であることに気がついた。僕はいままで、いわゆる「翻訳」は3つくらいしか手掛けてなくて、『論語』の前は80年
新型コロナウィルスによって大きな打撃を受けている小規模映画館(ミニシアター)等への緊急支援を求めます #SaveTheCinema (English below) ロゴをダウンロード 新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、政府の要請を受けて映画館の上映自粛が広がっていますが、特に小規模映画館(ミニシアター)は存続の危機を迎えております。このまま緊急事態宣言が出されたら、閉館せざるを得ない映画館も出てくると思われます。映画は人に観てもらって、初めて完成すると言います。そういう意味で、映画館は、映画と観客を結ぶ架け橋、映画という表現の最前線なのです。それをどうしても守りたい。 その想いから、この度有志の呼びかけ人、賛同者により緊急支援を求める要望書を作成しました。change.orgによる賛同者の募集、政府への要望書提出、クラウドファンディングなどを活用した具体的な施策を断続的に実施していく予定
このエディターズノートはいつも月初に書くことにしているのだが、今月はあまりにも考えなくてはならないことが多すぎて、一週間以上もずれ込んでしまった。 先週はあいちトリエンナーレ2019を見るため、名古屋市と豊田市を駆け足でまわってきた。参加作家の一人である「表現の不自由展・その後」の展示内容に対する批判や抗議、さらには展示続行を困難にさせる職員等への脅迫的言辞もあり、わずか開催3日で同展が中止に追い込まれた経緯は、報道などを通じてご存知のとおりである。 「表現の不自由展・その後」という企画展のタイトルに「表現の自由」という言葉が含まれていたこともあり、展示中止の経緯は「表現の自由」をめぐる議論を喚起した。この言葉には多様なニュアンスが含まれるが、第一義に意味するのは日本国憲法第21条で保証されている、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由であろう。これらに対しては、事前であろうと
みなさん、こんにちは。内田樹です。 今回のアンソロジーは『ポストコロナ期を生きる君たちへ』というタイトルです。 僕が編者になって、いろいろな方にご寄稿をお願いして一冊を作るという企画は、これで『人口減少社会の未来学』(文藝春秋)、『日本の反知性主義』、『転換期を生きるきみたちへ』、『街場の日韓論』(以上晶文社)に続いて5冊目となります。今回は『転換期を生きるきみたちへ』と同趣旨で、中学生高校生を想定読者にしたものです。 どういう趣旨の本であるかをご理解頂くために、寄稿者への「寄稿のお願い」を採録しておきます。まずはこれをどうぞ。 みなさん、こんにちは。内田樹です。 またまた晶文社からのアンソロジーへのご寄稿の依頼です。 今回のお題は『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』というものです。いつものように安藤聡さんにご提案頂きました。 タイトルから知れる通り、中学生高校生を想定読者に、彼らの前に開
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