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 CMJK2 music        Daft PunkCMJK  
  • Daft Punkは何故解散しなければいけなかったのか〜ぼくなりの考察|CMJK

    Daft Punk 〜 トーマ・バンガルデルがいなかったら今の自分もいない。それくらい感謝しています。 ぼくはDaft Punkの熱心なファンではありませんでした。もちろん嫌いじゃありませんでしたが熱狂するほどはのめり込めなかった。 なぜならDaft Punkはオリジネイターというよりは元ネタからの引用がとても上手な「うまいことやる人達」という印象が強かったから。1stから2ndにかけてはああなるほどとは思いつつも熱心には聴いてなかったしもちろん影響も受けませんでした。 80年代の終わり頃からシンセサイザーやリズムマシン、サンプラーをシーケンサーで稼働させるいわゆる「打ち込み」を10年間延々とやり続けてアーティスト活動も辞めて編曲家に転身しつつあった90年代の終わり〜2000年代の頭にかけて、突然シンセサイザーに飽きた時期がありました。 ちょうどその頃浜崎あゆみ女史チームからお声かけいただ

      Daft Punkは何故解散しなければいけなかったのか〜ぼくなりの考察|CMJK
    • 41年前の今日イアンカーティスはなぜ死ななければならなかったのか 〜 ニューオーダーの鈍感力|CMJK

      41年前の今日、1980年5月18日、ジョイディビジョンのヴォーカリスト、イアン・カーティスが自宅で自ら首を吊って死にました。享年23歳。 ジョイディビジョン / イアン・カーティスの半生を描いたセミ・ドキュメンタリー映画「コントロール」にてイアンを知った方も多いかと思います。 まずイアンのパーソナリティーについて少し解説します。 普段は気さくで優しくて常に周りに気を使っているような人だったそうです。 新しもの好きで常に刺激的な音楽を求めていて、メンバー(後のニューオーダー)にクラフトワーク等のエレクトロを最初に勧めたのもイアンだったんだそうです。 決して鬱々とした友達がいないような消極的なタイプではなかった。積極性があり、彼らの所属レーベル社長で彼らのボスとなるマンチェスターのマルコム・マクラレン トニー・ウィルソンとの初対面のシーンで、トニーにいきなり喰ってかかるイアンの様子が「コント

        41年前の今日イアンカーティスはなぜ死ななければならなかったのか 〜 ニューオーダーの鈍感力|CMJK
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