ときどき思い出したように再開される内部留保(笑)に関する煽りから思い出す、共産主義の本質とは。 我々の社会の不完全性の表れ?
ときどき思い出したように再開される内部留保(笑)に関する煽りから思い出す、共産主義の本質とは。 我々の社会の不完全性の表れ?
積読・読書途中の本に関する雑感や、オンライン上の面白コンテンツ、そして世の中の不合理に対する暴言を脊髄反射的に記す。 yutakashino (柏野 雄太) another weblog: kashino.exblog.jp Archive Amazon.co.jp: 社会科学における人間 (岩波新書): 大塚 久雄: 本 大塚久雄とか丸山真男とか、ある時期に日本の「知的巨人」といわれていた人たちが目指した、個人主義や個の確立みたいな議論を見直したくてちょっと今読み直しているのだけれど、あまりにインチキ臭いというか、観念論的すぎるというか、いいかげんな議論が続くので辟易してきた。 たとえば、この「社会科学における人間」なんだけれど、この本によると「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にはシュレージエンでは出来高払いにしても仕事を二倍して賃金を二倍うけとるというよりは仕事を1/2にし
この記事について。 世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼 - Zopeジャンキー日記http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo ぼくは公言している通り左翼である。 左翼とは何か、とよく問われる。 左翼・右翼は元来「相対的な意味」しかない しかし、Yahoo!百科事典(小学館『日本大百科全書』)で「他の多くの政治的用語がそうであるように、右翼ということばも多義的であり、対立概念の左翼と同様、元来、相対的な意味しかもたないゆえに、厳密な定義を行うことは困難である」(西田毅)、「対立概念の右翼と同様、元来、相対的意味しかもたず、その時の政治状況や右翼が何をさすかで決まる」(加藤哲郎)と書かれているように、ここに固定された絶対的な意味を求め、万人の認める定義づけをすること自体が空しい作業だといえる。 よく言
20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。 第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜本的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。 サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41〜44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基本構造」で構造人類学を樹立した。 自伝
総括の総括の総括 今まで何度目にしてきたでしょう 連合赤軍誕生→血みどろの内ゲバへと至り あさま山荘で幕を閉じる出来事 日本映画だけでも 『鬼畜大宴会』『光の雨』『突入せよ!「あさま山荘事件」』 ここ11年で4本目 合間には数十年新作を撮ってない某ゴジ巨匠も 「『連合赤軍』を撮るからエキストラ募集」なんて 告知をかけていたりしました 「総括」「自己批判」のもとに 仲間同士凄惨なリンチで殺し合った 無知で盲目な若者たちの日々を 「総括」「自己批判」すべきだった 映画作品がまたことごとく失敗し 総括の総括に失敗した日本映画の「総括」をするために ゴジと並び称される伝説の巨匠・若松孝二が どこか一部なんてちゃちなこと言わないで 連合赤軍にまつわるすべてを ナレーション 字幕まで多用してみっちり この3時間10分に閉じ
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、このブログのエントリーの人気の傾向ははっきりしていて、歴史系・民俗学系のエントリーはことごとく無視に近い状態にある一方で、「読解力」だとか「問題解決」だとか、「行動力 」、「フレームワーク思考」などといったライフハック系とも呼べるようなキーワードが含まれるエントリーには割と恒常的に人気があるように感じられます。 こうした傾向は以前からあって、昔のエントリーでも「粘り強さ、継続性」とか「アウトプット速度」とか「PR下手で損してる」とか「」なんていうフレーズがタイトルに入っていると人気は得やすいようです。 これらの問題は単に個人レベルだけの問題なの?人気はないよりあったほうが書くモチベーションも上がるが、かといって人気を得るためにそうしたエントリーばかりを書こうという風に
「だから死刑には反対する」と、そこへ寄せられたブクマコメントなどについて。いろいろと、曖昧さの残るところについても、もう少し付け足して考えておく。*1 僕の死刑反対論は、基本的には終身刑という刑が存在することが前提。しかし、現時点では終身刑なるものはないから、死刑でないならば無期懲役以下の刑ということになり、かなり現実的な未来に被告人が刑を終えて出てくる可能性がある。そうなるならば、正直、心中穏やかではいられないだろう。まして、身近に住まれる、なんてことにでもなるならば。だから、死刑制度には反対なのだけど、今回の死刑判決に反対できるかと聞かれるならば、さすがに迷う。あえて、どうしてもどちらかを選べ、と言われるなら、「死刑判決に反対」と述べるかな。人が人を殺す、しかも、そのことを正しいと言う、そのことは僕にとって、その程度には重いことだ。──もちろん、このように考えているならば、本村氏の主張
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