![秋葉原でおにーちゃん!と叫ぶオフ - matakimika@hatenadiary.jp](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/36f89cb1c98fd0a5ebc617e3989e88fb0fecb90a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.d.st-hatena.com%2Fdiary%2Fmatakimika%2F2003-02-26.jpg)
いまや他人事のようにおぼろげな記憶なのだが、幼稚園を登園拒否したあげくに転園したことがあります。 毎日のようにある知育っぽいテストが嫌だった。説明を聞いていないからエンゼルフィッシュの形の厚紙を台紙のどこに貼ったらいいかわからず、かといって周りに訊くこともできず、放り出して逃走することもできずに途方に暮れていた。豆まきの絵を描いて先生に持っていくと「建物の外も塗りなさい」といって突っ返されるのも嫌だった。夏服・冬服・合服とやたらにバリエーション豊かな制服も窮屈で嫌いだった(これは今見たらかわいいと思うはず)。ミドリガメに食パンをあげて池の面を油でギトギトにするのが好きだったが、みんなの輪に混じらずにいると先生が横にやってきて、はみだしっ子の心を開かせようといろいろな話をしてくるのが子供心にもきつかった。負担をかけているのを小さいながらビンビン感じた。 もともと親戚の強い推しで通っていた園で
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。 普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。 サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。 生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。 「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。 さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。 が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。 「子供の頃
この前mixiの在日特権コミュを見てたら「昭和?年から在日コリアンに毎月手当が支給されてる」との主張があった。旦那にぜひ貰ってきてくれとお願いした。どうやって手続きするのか皆目不明だけど。 約3時間前 TwitBirdから 4人がリツイート
漫画即売会のコミックマーケット、通称コミケの参加者を指して「10万人の宮崎勤」とTV局が表現したという話がある。 しかし当時でも個人による映像録画が可能だったというのに、現在まで明確な証拠は見つかっていない。 Wikipediaの記述以降に発言者と目された東海林のり子説は本人が否定し、記述の具体的な誤りも指摘していた。 YOUTUBEで映像を見たという「記憶」を主張する人も数名いるが、該当する映像が示されることはない。実際に目撃した記憶があっても必ずしも事実ではないことは、様々な冤罪事件や心理学が示している。似たような話として、WEB上で「福島瑞穂の迷言」というデマが検証されたエントリも紹介しておこう。 「福島瑞穂の迷言」という都市伝説について(事務所コメント付) - 荻上式BLOG 続・「福島瑞穂の迷言」というコピペについて - 荻上式BLOG 現時点では「10万人の宮崎勤」とTV局が報
2010年5月26日 グラビアアイドルの東原亜希さんがブログで紹介したにも関わらず、亀田製菓が最高益を記録したとネット上で騒ぎになっている。東原さんのオフィシャルブログ「ひがしはらですが?」は通称「デスブログ」と呼ばれ、紹介した商品や人物、場所に災難が降りかかると言われている。あくまで噂だが、これまでにも東原さんが鶴岡...「デスブログ」 に掲載された亀田製菓、決算で最高益を記録!! 2010年5月26日 グラビアアイドルの東原亜希さんがブログで紹介したにも関わらず、亀田製菓が最高益を記録したとネット上で騒ぎになっている。 東原さんのオフィシャルブログ「ひがしはらですが?」は通称「デスブログ」と呼ばれ、紹介した商品や人物、場所に災難が降りかかると言われている。あくまで噂だが、これまでにも東原さんが鶴岡八幡宮を訪れたとブログで報告した後にご神木が倒れたり、買ったばかりのiPhoneでブログを
以前のエントリ「20年遅れで輸入された『チャレンジド』の問題——あるいは『ジェンダーフリー』の再来」の続き。というか追加情報の整理。かのエントリを書いたあと、何人かの人に(たとえばブックマークで)教えてもらったのだけれど、どうやら「チャレンジド」という言葉を日本で広めたのは、社会福祉法人プロップ・ステーションの竹中ナミさんらしいということ。プロップ・ステーションは1991年創設だし、95年からはチャレンジド・ジャパン・フォーラムという国際会議を開いているらしいので、どうも最近になって突然「チャレンジド」という言葉が広まったというわけではないらしい。というより、竹中さんが20年近く前から地道に取り組んでいたのが、ようやく首相レベルにも伝わったということか。 それは良いとして、ふたたびこの言葉が気になったのは、雑誌『サイゾー』最新号の記事紹介で、次のような導入部を見かけたから。 「チャレンジド
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