誰かとえっちした事を﹁〇〇を喰った﹂と表現する男性が現在とりわけ散見される。 何が問題なのかというと、この表現は﹁〇〇という人間を食べる﹂としてカニバリズムに当たる事である。 昨今のカニバリズムとして、日本人はおかしな誤解をしている。 例えば、パリ人肉事件の佐川一政の件である。 端的に言えば、佐川は自分の彼女を捕食的な意味合いで﹁喰った﹂わけである。 この﹁喰った﹂という表現は表現として至極適当である。 というのも昔﹁喰う﹂という表現は、例えば﹁人喰い鮫﹂のように人や物を文字通り食べる、 すなわち﹁〇〇が人肉を食べる﹂といった意味合いにきわめて近い。 しかしながら、現在の﹁喰った﹂はカニバリズム的な﹁喰った﹂という表現ではなく、 どちらかといえば、﹁ご飯を食べた﹂と同種の表現であろう。 ここにニュアンスの違いを感じるのである。 この表現、おかしな所はないのだろうか。 この表現を目にする度に